シングルファザーになって6年の歳月が流れた。10歳になったばかりだった息子も今年の9月から高校に進学する。

日本から1万キロメートル離れたここパリで、僕はこの6年間、家事と育児の日々に明け暮れてきた。家事や育児に悩む女性たちばかりではなく、最近は同じような境遇のシングルファザーの方たちから、質問や相談を受けることも多くなった。けれども僕自身は独学で日々の大変を乗り越えてきた。
離婚の直後、僕が自身の生き方を改めるために傍らに置いた言葉は「息子ファースト」である。野心を煽(あお)るような仕事が舞い込んでも、子供の生活に支障をきたすならば息子ファーストの立場でお断りすることもあった。
野心家で仕事大好きだった僕が自分のことをひとまずおいて子育てや家事に向かいはじめた時、僕の生き方は変化した。子供の成長を一番の喜びと考えて生きることは、野心家だった僕の人生観、幸せの価値観を変えた。
「パパは僕のために夢を諦めないで」と息子に言われたこともある。けれども、野心ばかり追いかけても、足元の幸せを見失い続けている限り、人間は幸福になることはない。子供の成績がほんの少し上がった時、子供がバレーボールの試合で勝った時、子供にはじめてガールフレンドができた時、子供と2人で食事をする時、その食事を「おいしい」と褒められた時、僕は自分の人生に満たされた気分になった。
幸せという言葉はなんとも曖昧なもので、幸せになりたい、と人間が声高に叫ぶ言葉には実態がない。幸せというのは失った時にあれが幸せだったのかと気づかされるものだったりする。人間は欲望や野心によって成功ばかり夢見てしまうが、それが本当の幸せかどうかは分からない。毎日の小さな幸せが積み重なって、人生というものは豊かになる。
僕がシングルファザーになった時、僕と息子はある意味でどん底にいた。僕は遠くを見るのをやめ、自分の足元を照らして生きることをはじめた。息子が「おいしい」とつぶやく一言に新たな生きがいや幸福を感じようと心掛けた。その小さな幸福がこの6年間積み重なって、僕と息子は今、本当の幸せを手に入れることができた。
最近、あらゆる場面で「これが幸せなのだ」と思う機会も増えた。まるで人生の修行のように僕は米を研ぎ、買い物をし、食事を作り、黙々と部屋の掃除をする。家事が僕の人生を変えたのである。

[日本経済新聞夕刊2019年4月23日付]