池上彰と黒田博樹が語り合う 人生の壁の乗り越え方スペシャル対談(上)

2019/4/1

試行錯誤 後の糧に/先輩の助言で救われた

池上 「子どものころから地方取材をする記者になりたかった。初任地は島根県松江市。新人時代は警察関係者との間合いの取り方が難しく、勇気がなく警察署にすら入れないこともあった。実は同期生にも心配されるほどの人見知りだった。当初、取材方法や人間関係づくりに悩んでいた。そんなとき記者クラブにいる他社の先輩記者にアドバイスをもらうことができた。いわゆる『斜めの関係』に救われたと思う」

「原稿の書き方を学ぼうと、自分なりに工夫をした。NHKの先輩の原稿を書き写したり、ラジオのニュース番組を録音して書き起こしたりした。デスクから『取材したことを原稿に盛り込め。中間搾取するな』と指摘されたことがいまも記憶に残っている。わかりやすい原稿を書くために必死で試行錯誤していた」

司会 誰にでも人生の転機がある。池上さんはNHKを辞めてフリージャーナリストになったときではないか。黒田さんは米メジャーリーグへの挑戦。そして、高額年俸を断って日本のプロ野球界への復帰を決断したときではないか。

池上 「東京の社会部で記者をした後、5年間、首都圏ニュースのキャスターを務めた。日ごろから『ニュース原稿はわかりやすく』と言い続けていたら、今度は子どもたちにニュースを理解してもらうための新番組『週刊こどもニュース』を任されることになった。この番組に11年間かかわったことが、後にフリーのジャーナリストになってから大きな財産になったと感じている」

「NHKを辞めたのは、解説委員長から『専門分野がないから解説委員にはなれない』といわれたことがきっかけだった。自分の強みは何かを考え直し、物事をわかりやすく解説するという専門性があるのではということに気づいた。フリーになって関心のあるテーマで本を書きたいと考えていたけれど、民放のテレビ局に出ようという考えがあったわけではなかった」

黒田 「2ケタの勝ち星をあげ、カープで一番の投手になることを目指していた。貴重な経験だったのが2004年のアテネ五輪の日本代表となったとき。他球団の松坂大輔投手や上原浩治投手をみて、自分の力が足りないことを感じた。もっと広い世界で試したいと考え、次に挑戦するステージとして米メジャーリーグが浮かんだ」

「メジャーで7年間投げ続け、最終的に日本へ復帰することを決断したときの気持ちはいまもよくわからない。メジャーでは一年、一年が勝負だったし、日本に戻るならカープしか考えられなかった。メジャーでも必要な選手とされながら、日本球界に帰ることが一番意味があると思っていた。それがメジャーで投げ続けるモチベーションでもあった。カープに戻った後、若い選手に質問されたときには失敗談を伝えるようにしていた」

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