イモムシや雑草も主役に 変わり種図鑑ヒットのワケ
ネットで一通りの調べものができる時代にもかかわらず、「図鑑」ブームが続いている。見過ごされてきた存在に着目した斬新な切り口や迫力のあるビジュアルでヒットを生み出している。
「図鑑という言葉が『予備知識なしに楽しめるもの』として広がっている」。千葉県立中央博物館主席研究員で1800冊もの図鑑を個人で所有する斎木健一さんはこう指摘する。かつて図鑑といえば、名前が調べられ、写真や絵があり、解説がつくのが定石だった。だが近年は、生き物の知られざる弱みをイラストとともに紹介するなど、従来にない「図鑑」が増えている。
「読みもの系」に火
例えば、シリーズ累計34万部の「せつない動物図鑑」(ダイヤモンド社)。「ハエが出せる音は『ソ』だけ」「タコには友だちがいない」など哀愁漂うエピソードが並ぶ。担当編集の金井弓子氏はシリーズ累計280万部の「ざんねんないきもの事典」(高橋書店)の第1作も手掛けた、読みもの系「図鑑」ブームの火付け役だ。
翻訳書である「せつない~」の原題は「SAD ANIMAL FACTS」。「SAD」を直訳すれば「悲しい」だが金井氏は「ニュアンスを生かしつつ余韻のある『せつない』をあてた。解釈に幅があり、愛情をこめられる言葉を使いたかった」と話す。
同じように悲哀を感じる語を冠した「図鑑」の刊行は続く。橋本行洋花園大学教授(日本語学)は、背景に「2000年前後から続く『ゆるキャラ』や癒やし系のブームがある」と話す。バブル崩壊後、マイナスイメージを許容し評価する機運が広がったが「堅い印象のある図鑑に応用した点が新しい」と指摘する。
学習図鑑でも一見「せつない」生き物を扱った一冊が現れた。小学館の図鑑「NEO」シリーズから昨年刊行された「イモムシとケムシ」。通常の昆虫図鑑では脇役に追いやられがちなイモムシとケムシに特化し、1100種を載せる。
「ふれあう機会が多いのに調べられなかったのがイモムシやケムシ。『植物』や『鳥』にも迫る売れ行き」と編集担当の広野篤氏。初版5万部で2万部の増刷が決まっている。
標本にするのが難しく、撮影は生きた虫が中心だ。機材や撮影・編集技術が向上し、毛の一本一本まで鮮明な写真が並ぶ。広野氏は「子どもの興味は専門的になっている。ジャンルを横断したり、より深く掘り下げたりということが求められている」と、切り口の重要性を指摘する。
切り口と技術の結晶ともいえる図鑑も人気を博す。「美しき小さな雑草の花図鑑」(山と渓谷社)は、ハコベやツユクサなど雑草の花を、手前から奥までピントを合わせて撮影した一冊だ。1円玉より小さな花も手のひら大に拡大し、解説する。「身近な花だからこそアップにしたときの驚きと発見がある」と同社の神谷有二氏。昨年2月刊行で6刷2万4千部と、順調に発行部数を伸ばす。
AIと融合加速
多様な「図鑑」が相次ぐ背景には、図鑑を取り巻く環境の変化がある。出版界に詳しいライターの永江朗氏は「広く浅く調べるならば、ネットで十分になった」と指摘。だからこそ一つのテーマを掘り下げたり、ビジュアルを魅力的に見せたりという書籍編集が培ってきたノウハウが光る。金井氏は「調べ物の手段が書籍だけだったら、デフォルメや省略のあるイラストを図鑑に使うのは問題が多い。ネット上に多くの画像があるからこそ可能」と話す。
人工知能(AI)と図鑑の融合も始まった。斎木氏が注目するのは昨年登場した、生物にスマートフォンをかざすと名前を認識するアプリ「リンネレンズ」だ。「名前を知る機能をコンピューターが担うようになったら、図鑑とデバイスはどんな連携を見せるのか」と今後に関心を示す。
動物たちの裏事情に身近な虫や植物。見過ごされてきた存在を掘り起こす「図鑑」ブームは、ネット時代に書籍が担う価値を示唆しているのかもしれない。
(桂星子)
[日本経済新聞夕刊2019年3月25日付]
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