ベルリン映画祭、政治的テーマ濃く 個人と社会つなぐ

第69回ベルリン国際映画祭はイスラエル出身のナダヴ・ラピド監督が金熊賞に輝き、17日に閉幕した。政治色の強い作品が主要な賞を占めた今回を、映画評論家の斎藤敦子氏が報告する。

第52回(2002年)にディレクターに就任して以来、ベルリンを世界最大の観客数を誇る映画祭に育てあげたディーター・コスリックは、“観客のための、政治的な映画祭を”と言い、今年のテーマに“子供、家族、性の平等、食べ物”の4つを挙げた。それぞれは極めて個人的だが、大きな意味で政治的なテーマに繋(つな)がる、と。まさにコスリックの言う通り、結果もまた“政治的”だった。

実体験が元に

金熊賞を受賞した『シノニムズ』は、イスラエル人としての自分を嫌い、必死にフランス人になろうとする青年の姿を通して、彼がそれほど嫌うイスラエルとは何かを考察する。シノニムとは同義語のこと。青年がなりたかったのはフランス人のシノニムにすぎないのか。ナダヴ・ラピド監督の実体験を元にした、寓話(ぐうわ)的な作品だ。

二席の審査員大賞『神のおかげで』は、実際にあったリヨンのカトリック教会の神父による子供の性的虐待を描く。技巧派フランソワ・オゾンが華麗なテクニックを一切封印し、愚直なまでに被害者の傷ついた心に迫る。すべて実名で、当事者の責任を問う裁判がまだ係争中なため、フランスでの公開は決まっていない。批評家の評価は賛否両論で、この受賞には政治的な意味があるだろう。

アルフレッド・バウアー賞『システム・クラッシャー』と監督賞『私は家にいた、だが…』は、私が今年最も注目した2本で、いずれもドイツの女性監督の手になる。

『システム・クラッシャー』の主人公は、まだ小学校低学年の少女ベニだ。母親の手におえず、養護施設に預けられているが、ルールを守ることが出来ず、養い親とも仲間ともすぐ喧嘩(けんか)してしまう。こういう子供をシステム・クラッシャー(制度の破壊者)と呼ぶのだそうだ。映画は、そんなベニを何とか助けようとする福祉関係者たちの必死の努力を、まるでドキュメンタリーのように描いていくのだが、私はどうしても直前に起きた野田の女児虐待死事件を思い出さずにはいられなかった。監督のノラ・フィングシャイトは36歳、これが長編デビュー作だ。

先鋭性と古典性

『私は家にいた、だが…』は、父親を失った後の母子3人家族の生活をスケッチしたパートと、小学生たちが『ハムレット』を演じるパートが交互に登場する。家族の心に父親の死が微妙な影を落としているのを、何でもない日常風景を使って描いたところに独特の魅力があり、とても知的だと思ったら、監督のアンゲラ・シャーネレクはハンブルク美術大学の教授でもあった。

映画評論家 斎藤敦子

女性監督2人の先鋭性に対して、男女優賞を獲得したワン・シャオシュアイ監督『さよなら、我が息子』は、一人息子を亡くした夫婦の人生を中国の近代史に重ね合わせて描いた、いかにもクラシックな作品だった。中国からはもう1本、コンペに出品が予定されていたチャン・イーモウ監督『1秒』が上映直前にキャンセルになって、映画祭と政治の関係を改めて考えさせられた。

今年も日本映画がコンペにない寂しい年だったが、パノラマ部門のHIKARI監督『37 Seconds』に観客賞など、ジェネレーション14プラス部門の長久允監督の『ウィーアーリトルゾンビーズ』に作品賞のスペシャル・メンション(次点)が与えられた。日本の若手映画作家たちはしっかり頑張っている。

[日本経済新聞夕刊2019年2月19日付]

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