言葉の力 社会を変えたキング牧師
およそ半世紀前、黒人への差別の撤廃を訴える公民権運動の若き指導者、マーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺されました。非暴力を唱え、人々を動かし、社会を変えた指導者です。ところが米国にはいまも差別を巡る対立があります。今回の旅ではメンフィスやワシントンなどキング牧師のゆかりの地を訪ね、その歩みを振り返ります。
2018年、米プロフットボールNFLで、試合前の国歌斉唱の際に選手の起立を義務付けるというルールが話題になりました。人種差別への抗議の意思を表すため、膝をつく選手が増えていたからです。トランプ大統領が選手を批判し、波紋が広がっていました。
その背景には14年、ミズーリ州での白人警官による黒人青年の射殺事件があります。最初に膝をついたといわれる著名選手は、どのチームとも契約ができていません。NFLは白人のファンが多いことが背景にありそうです。米国社会がいまも直面している現実を象徴する出来事です。
米南部テネシー州へ向かいました。大規模な綿花農場などが多い地域です。アフリカから連れてこられた人々が、労働力として売買された「奴隷制度」が認められていた時代があったのです。南部発祥の音楽「ブルース」の響きには、人々の望郷や悲しみが込められています。人々に許された自由は歌うことでした。
1968年、同州メンフィスで労働者の待遇改善を訴える抗議運動が激しくなったときのこと。39歳のキング牧師は4月4日、ロレインモーテル306号室のバルコニーで凶弾に倒れました。現場は人種差別の記憶を刻む国立公民権博物館の一部として保存されています。訪れていた女性は「差別は最近、広がりつつある」と語りました。
どうして黒人差別が絶えないのでしょうか。1860年代、奴隷制度をめぐって米国の北部と南部が衝突した南北戦争がありました。北部は小規模農家が多く、奴隷制を支持する南部とは事情が異なりました。
第16代大統領エイブラハム・リンカーンが63年に「奴隷解放宣言」を出し、北軍が戦いに勝ちます。やがて奴隷制度は廃止されますが、その後も南部の一部の州などでは黒人の権利が制限されてきたのです。
1955年、キング牧師が注目される事件がアラバマ州モントゴメリーで起きました。バスは前部に白人、後部に黒人の座席が区別され、白人に座席をあけるよう命じられた黒人女性が席を譲らず、逮捕されたのです。女性の名にちなみ「ローザ・パークス事件」と呼ばれます。当時は、飲食店や宿泊施設なども同じような差別がありました。
キング牧師は26歳。「憎悪は憎悪を生み、暴力は暴力を生む」として非暴力を唱え、黒人たちはバスに乗ることをボイコットしました。バスに乗らずに歩いた高齢の黒人女性は「自分のためではなく、子や孫のために歩いている」と語ったそうです。事件から1年後、連邦最高裁判所は白人と黒人の座席の分離は違憲と歴史的な判断をします。
奴隷解放宣言から1世紀、公民権運動は最高潮に達します。63年8月28日、ワシントンにあるリンカーン記念堂周辺に20万人余が集まりました。そこでキング牧師は歴史に残る演説をします。その一部です。
「私には夢がある。それはいつの日か私の4人の子どもたちが肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に生きられるようになることだ」
当時、公民権法案が議論されていました。ケネディ大統領の暗殺後、ジョンソン大統領に受け継がれ、64年に人種差別を禁じる「公民権法」が成立します。キング牧師は功績が認められ、64年のノーベル平和賞を受賞し、授賞式で演説しました。「非暴力とは黙って言いなりになることではない。社会的変化をもたらす力強いモラルのことだ」
後に公民権運動の母と呼ばれ、2005年に92歳で亡くなったパークスさんは「正しいことをしているのなら、決して恐れてはいけません」と話していたそうです。米国では黒人初のオバマ大統領が誕生し、新たな歴史が刻まれました。
ところがトランプ大統領には人種差別とも受け取れる言動が目立ちます。社会を分断し、新たな対立を生んでいます。その背景にはヒスパニック系移民などの人口が増え、白人の人口比率が5割以下になるという見通しをもとにした「2050年問題」があるのでしょう。多様性を受け入れてきた米国社会の寛容さが失われているのでしょうか。
社会を変えるため、声を上げ、行動した人々がいることを忘れてはいけないでしょう。言葉の力で人々を動かしたキング牧師の歩みを振り返るとき、指導者の役割とは何かを教えてくれているように思います。
(1)米国の歴史には「奴隷制度」が認められていた時代があった
(2)米国はいまも人種をめぐる差別や対立の問題に直面している
(3)芸術や文化を知ることで歴史への理解を深めることができる
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[日本経済新聞朝刊2019年2月18日付]
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