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伊原木隆太氏と座右の書・愛読書

伊原木隆太氏と座右の書・愛読書

地元の百貨店、天満屋社長から6年前に知事に転じた。
いばらぎ・りゅうた 1966年生まれ。90年東京大工学部卒、95年米スタンフォード大で経営学修士(MBA)取得。天満屋社長を経て2012年11月から現職。

いばらぎ・りゅうた 1966年生まれ。90年東京大工学部卒、95年米スタンフォード大で経営学修士(MBA)取得。天満屋社長を経て2012年11月から現職。

選挙に出るときにある先輩から薦められたのが『私なき献身』です。1951年から13年間、岡山県の知事を務め、任期中に61歳で急逝した三木行治さんの物語です。この本を読んで覚悟が固まったし、今も三木知事の命日には墓参りに行きます。

もともと医者だったのですが、一人ひとりの患者に向き合うだけでなく、全体の公衆衛生を改善しようと現在の厚生労働省に移り、その後、県知事になりました。しかし、知事といえども県の予算には限りがある。そこで岡山県倉敷市の水島を埋め立てて工業地帯に変えた。産業を興して税収を上げ、衛生状態、医療水準の改善に使える資金を生み出したのです。

きっと、水島を埋め立てるお金があれば、先に病院をつくり、下水道を整備したかっただろうと思います。しかし、未来に向けてまず投資して、結果的により良い形で医療水準、生活水準を高めた。急がば回れです。素晴らしい行政手腕だと思います。

私の人生は父方の祖父、伍朗に強い影響を受けています。祖父は長野の貧しい家に生まれて岡山に来て養子になり、天満屋の社長や商工会議所の会頭を務めました。そして、戦争で焼け野原になった岡山の立て直しのために三木知事に協力する。

祖父は私が生まれる前に51歳で他界したので、話したことすらありませんが、三木知事と一緒に寿命を縮めながら岡山を復興しようと頑張った。それが我が家の誇りなのです。

岡山には資産家が公益のために私財を投じる風土があります。私の祖父もそうだったかもしれませんが、城山三郎さんが『わしの眼は十年先が見える』で描いた大原孫三郎さんこそが、偉大なる先人です。

大原さんは実業家でありながらも、社会の貧困など、ありとあらゆる問題の解決に我が事のように取り組まれました。役所任せではなく、民間でできることは民間でする。大原さんのような方が岡山には何人もいたから、県民の民間人に対する信用が他の地域に比べて高い気がします。そういう風土があったからこそ、私が知事になれたと思うのです。

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