五輪や万博で定着 コインロッカー、まだまだ進化中
旅先やレジャー施設などで身軽に動きたい。そんなとき便利なのがコインロッカーだ。普段は目立たない存在ながら、登場から半世紀で機能は着実にアップ。「手荷物を預ける」にとどまらない実力派に育ってきた。
主要駅で増設が続くコインロッカー。大きなスーツケースを預ける外国人の姿も多くなった。日本の安心・安全な街を象徴する光景だが、その原点はいつごろだろう。
東京五輪が開かれた1964年のこと。シリンダー錠製造・販売の国産金属工業(現アルファ、横浜市)が米社と組みコインロッカーの展開を始めた。新宿駅に「セルフサービス(携帯品)一時預(あずか)り」と大きく書かれた"箱"の集合体が出現。縦5段、横12列の小箱が並ぶ様子は近未来的に映ったに違いない。当時の荷物預かり所といえば有人。使い方が分からない人が多く、説明係がいたという。
普及に弾みがついたのは夏のプールだった。「必ずみな水着に着替える。服をしまう所が必要だった」。アルファロッカーシステム(横浜市)の柳内勝彦社長はそう説明する。当然、夏しか需要がないが、くしくも世の中はスキーブームの幕開け期だった。
ロッカーのアフターサービスなど関連事業を手掛ける勇気屋エンタープライズ(東京・中央)の内田康生取締役は、夏の営業を終えたコインロッカーをスキー場に運んだ当時の経験を振り返る。「神奈川県の葉山のプールから新潟県内のスキー場まで約300キロ。箱を運ぶので『ハチミツ屋』と呼ばれたものです」
70年の大阪万国博覧会などを経て、その後もコインロッカーは広がり続けた。沖縄の那覇空港にはサーフボードをまるごと預けられる超大型のロッカーも登場。標高1400メートルの南アルプスにある山小屋にもロッカーが備え付けられている。
コインロッカーの仕組みを少し見てみよう。荷物を収め、貨幣を投入して鍵をかける――。シンプルなようだが、実は奥深い。駅のロッカーは当初、終電から始発までは人の手で施錠していた。60年代半ばに、終電を過ぎると翌日分の追加料金が加算される「日送り」の仕組みができ、荷物を複数日預けられるようになった。近年はICカードを鍵代わりに、認証や決済できるシステムや、駅構内の空きロッカーを時間差なく確認できるサービスも始まった。
「手荷物を預ける」という本来の用途を超えた使い道も出てきそうだ。アルファロッカー社とKDDI、西武鉄道が実証実験中の「ラクトル」はその一例。ネット通販で買い物した食品や生活雑貨を、最寄り駅のコインロッカーで受け取れる。郊外暮らしで帰宅が遅い人でも、地元の店の閉店時間を気にせずに買い物することができる。
預ける店と受け取る消費者を取り持つのはスマートフォンのアプリに届く6桁のパスワード。コインロッカーがICカードなどのデジタル技術に積極対応してきたことが役立った形だ。やり取りする商品はさまざまに広がる可能性がある。通勤・通学で毎日朝晩使う駅に近い将来、多忙な現代人の時間を節約する魔法の箱が現れるかもしれない。
アルファロッカー社の柳内社長は「ニッチだが日本の社会に不可欠なインフラ。付加機能を取り込み、多くの人が使えるサービスを提供したい」と話す。
コインロッカーの歴史は、まさに日本の「セルフサービス」化の流れと重なる。誰もが気軽に使える利便性は、様々なトラブルへの対応など、緻密なサポート体制によって支えられてきた。半世紀を歩んだコインロッカーからは、日本人のニッチでもキッチリのサービス精神までもうかがえる。
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有人預かり、シェアで復活
コインロッカーに押されてきた有人の手荷物預かりサービス。近年はシェアサービスの考えを採り入れた新ビジネスも登場している。ecbo(エクボ、東京・渋谷)が2017年1月に始めた「エクボクローク」。美容室やカフェなどに登録してもらい、空きスペースで荷物を預かる。利用したい人はウェブサイトかアプリで条件に合う預け先を見つけて予約・決済する。
JR東日本、日本郵便などとも連携。店舗数は都市部を中心に1000店以上に広がった。ゴルフバッグ、ギターや大型楽器、ベビーカーなど「ロッカーに入りきらない物の預け入れも多い」(同社)。預ける荷物や場所の選択肢が広がったのに加え、人が管理する安心感もあるという。「セルフ」と使い分ける人が増えそうだ。
(天野賢一)
[NIKKEIプラス1 2019年2月16日付]
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