韓国で100万部 「普通」のフェミニズム小説に共感
「82年生まれ、キム・ジヨン」。韓国で100万部を超えるベストセラー小説だ。ごく普通の女性が日常的に受ける差別を描き、日本でも読者を広げる。著者のチョ・ナムジュに韓国で話を聞いた。
――この小説はフェミニズム文学と呼ばれる。
「フェミニズムという言葉は非難や滑稽化の具にされた側面があるけれど、だからこそ、もっと使うべきだ。フェミニズムは、語る上で何らかの資格が必要なものでなく、物事を見る態度や過程のことではないか」
「主人公の女性、キム・ジヨンは行動的な人物ではない。声を上げ、自分の望む場所を得ることも社会に変化を起こすこともできない。でも不合理な現実を意識し問題認識を持って悩む女性もまたフェミニスト。この小説がフェミニズム文学と呼ばれることは正しい」
社会の変化映す
――書き始めたのは2015年だった。
「韓国では、小説にも出てくる『ママ虫』という母親を害虫にたとえる言葉や、中東呼吸器症候群(MERS)は香港旅行帰りの女性が持ち込んだとのデマが広がった。女性嫌悪とそれへの反発が起き、私も自分の女性としての人生を振り返るきっかけになった」
「これまで女性差別は個人の苦しみとみなされ、多くの人が世の中そんなものだと思っていた。公に女性差別を議論する雰囲気が形成されたときに運良く出版され、この小説もまた議論を喚起するものになった」
「ジヨンは1982年生まれの女性で最も多い名前だ。この世代は、韓国の社会と制度の変化が人生に如実に現れている。女児の堕胎がはびこる時代に生まれ、青春期にはIMF(国際通貨基金)危機が起こる。子どもを持つ頃には無償保育制度が整った結果、母親なのに子育てをないがしろにしていると批判された」
――小説は異常な言動をとるようになったジヨンが語る半生を精神科医が記したカルテという形式だ。
「感情をむき出しにしないほうが、事実を理性的に理解してもらえる。男女の出生比や賃金格差など、以前から調べていた報道・統計資料を小説に生かすにはリポートのような文体がよいと考えた」
韓国だけじゃない
――ジヨンを極端に困難な状況には置かなかった。
「リベラルな母、ジヨンを思いやる夫と、彼女の環境は決して悪くはない。彼女の苦しみや悲しみは家族や経済状況が理由でなく、ただ女性だから受けたものだと伝えたかった。悪人を登場させたら、読者の憤りはそこへ向かってしまう」
「私自身も出産でキャリアを断絶した経験がある。人生が計画通りにいかないのは自分の責任だと思っていたけど、ジヨンを通じて客観的に見ると、機会が制限されていたと分かる」
――ジヨンの夫以外の男性は名前を持たない。
「実は推敲(すいこう)の時に名前を消していった。きっかけは主に映画作品のジェンダーバイアス(社会的・文化的性差別)を測定するベクデルテストを知ったこと。『名前を持つ女性が少なくとも2人は登場する』などの要件に届かない状況を、男性に適用してみた。名前のない男性の姿から、普段いかに女性の名前が消されているかを感じ取ってほしい」
――日本語版(筑摩書房、斎藤真理子訳)の発行部数は6万7千部に上る。台湾やタイでも翻訳刊行され、欧米での出版も決まった。
「欧米では理解を得るのが難しいのではと思っていた。編集者に普遍的なテーマだと言われて韓国だけの問題じゃないと改めて感じた。日本の読者はSNSなどに共感を記してくれる。この小説が、悩みを共有する媒介となればうれしい」
◇ ◇ ◇
「公の問題」静かに訴え
本書の淡々とした筆致とありふれた主人公の姿は、旧来のラジカル(急進的)なフェミニズムとは対照的だ。女性差別の現実を見つめ、公の問題として語り合う必要を静かに訴える。韓国では特に同世代の女性から支持され、読後に自身の経験を語る人も多いという。
「典型的なエピソードで小説が構成されているから、誰もが自分の話をしてみたくなる」と韓国文学の翻訳者、すんみ氏は指摘する。女性同士のつながりをテーマにした著作を多く持つ作家の柚木麻子氏は「カルテという形式で怒りや悔しさを極力抑え、皆に伝わる方法を採っている」と評価する。だからこそ、今まで声を上げることのなかった人にも届き、国を超えた広がりを見せているのだろう。
(桂星子)
[日本経済新聞夕刊2019年2月12日付]
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