怪奇・幻想の澁澤龍彦の世界 笠井叡がダンスで再現
澁澤龍彦の幻想小説「高丘親王航海記」を親交の深かった舞踏家、笠井叡がダンス作品として舞台化した。人気ダンサーの黒田育世、近藤良平らとともに澁澤の世界観をよみがえらせる。
フランスの作家マルキ・ド・サドの翻訳などでも知られる澁澤龍彦(1928~87年)の遺作となったのが「高丘親王航海記」だ。平安初期、藤原薬子の変によって皇太子を廃され、中国から天竺(てんじく)に向かった実在の人物をモデルに、道中で体験する7つの夢物語を描く。神話やエロチシズムが入り乱れ、怪奇と幻想が交錯する。
物語の力にダンスを拮抗
ダンス作品は11、12日にロームシアター京都(京都市)で初演された。人の夢を食らう獏(ばく)が踊り、下半身が鳥の女が舞う。儒艮(じゅごん)は人の言葉を話す。それらをダンサーの衣装や美術で表現した。舞台美術・衣装を手掛けたのはアートディレクターの榎本了壱。「高丘親王」を絵巻などの作品にしてきた経験を持つ。大規模な舞台装置や映像も駆使。舞台装置の制作は現代美術家の椿昇も参加した。
今作は、振付家としても活躍する黒田や人気ダンス集団「コンドルズ」を主宰する近藤らダンサーごとに数日を費やし、1対1で向き合って即興的なやりとりを積み上げたという。「物語に沿ってダンサーが『何を』するかは振り付けてあるが『どう』動くかはダンサーの自由」と笠井は言う。
その自由の中で、笠井や黒田、近藤ら腕利きのダンサー同士が相手の力を受け止め、それを相手に返すようにして舞う。主人公の高丘親王を演じる笠井も「本番の舞台上で自分が叫び出すのか、どんな動きが飛び出すのか予測がつかない。自分でも楽しみ」と話す。
ダンスとはすなわちダンサーの身体と考える笠井の作品は通常、物語性や舞台美術などダンサー以外の要素を極力そぎ落とす。今作は原作のイメージが強烈なだけに「物語の力に対して、ダンスをいかに拮抗させ、力を返して乗り越えていくのか。そこに今回、一番悩み、苦しんだ」。
「澁澤さんの言葉は単なる情報に回収されない生のイマジネーションが込められている」と笠井は言う。「現代では失われたそのイマジネーションを具体的に再現することを目指した」
笠井は世界的に評価の高い日本の前衛舞踊の源流を作った大野一雄、土方巽との出会いをきっかけに60年代から活動を続ける。代表作「花粉革命」をはじめ多くの作品を海外で上演し、国外での作品制作や指導経験も多い。
「書斎」から旅した作品
一方、87年に亡くなった澁澤は土方とも交流し、舞踏に造詣が深かった。笠井をキャリア初期から評価し、デビューリサイタルから笠井が79年にドイツへ留学するまで、ほとんどの作品に足を運んだという。
親交を深めた笠井はしばしば澁澤邸に入り浸った。「ちょっとした会話、悪口もすべてが批評性と絶妙なユーモアに満ちていた。作品もさることながら、本人の存在そのものが文学と言える稀有(けう)な人だった」
オーストリアの教育思想家シュタイナーの芸術論を学び自身の創作の基盤とする笠井のキャリアや作品からも、キリスト教の異端思想をはじめ文明や精神の裏面史を紹介した澁澤の強い影響が見て取れる。
幻想的な作風で知られた作家の稲垣足穂は澁澤作品について、知識だけで書いているとの批判を込めて「書斎のエロチシズム」と評したことがあったが、「この表現を本人は気に入っていた」と笠井は振り返る。高丘親王航海記は「旅行には関心が薄かった澁澤さんが博物学の知識や想像力といった自身のエッセンスを集約して『書斎』から旅をした作品」とみる。
衣装や舞台美術などの力も借りて物語の幻想的なイメージが満ちた今回の舞台は、逆説的にダンス本来の力をより鮮明に浮かび上がらせているようにも見えた。笠井が「新境地でもあり、集大成」と胸をはる作品となった。
東京での上演は24~27日、世田谷パブリックシアターで。
(佐藤洋輔)
[日本経済新聞夕刊2019年1月21日付]
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