薬物依存、専門治療拠点で治す 患者に合わせて対処
国立精神・神経医療研究センター(NCNP)が全国でも珍しい薬物依存症に特化した治療拠点「薬物依存症センター」(東京都小平市)を開設して1年余りが過ぎた。患者数は増加し、症状に応じた治療法を提案するなどして社会復帰を後押ししている。一方、薬物依存に対する誤解や患者への理解の少なさといった課題も依然として根強く、治療の普及の足かせにもなっている。
首都圏の医療機関に通院する男性(32)は5年前、仕事のストレスから違法薬物に手を染めた。仕事をクビになり、医療機関での治療を考えたが、相談した弁護士は「警察に通報される可能性がある」「治療しても依存症が完全に治るとは限らない」などと告げた。
3年ほど悩むうちに貯金は底がつき、男性は途方に暮れたが、友人を通じて支援団体の職員と知り合うことができ、適切に対応できる医療機関を紹介してもらった。現在は通院を続けながら、この支援団体で働いている。男性は「適切な治療で回復できることを知らず、依存を治したくても病院に足が向かない人も多いのでは」と話す。
国内には薬物依存症の治療を専門とする病院は少なく、専門的な知識を持つ医師もあまりいない。
NCNPは2014年以降、薬物依存症の治療を普及させる拠点として研究などに取り組んできた。活動をより加速させるため、17年9月から専門の精神科医を常駐させ、治療法を開発して全国の医療機関に広げていく薬物依存症センターを開設した。
同センターでは松本俊彦センター長を合わせた計5人の精神科医が対応している。今年1月時点の1カ月の新患数は約20人、再来患者数は1日50~60人程度で増加傾向にあるという。
依存度に応じ治療
最大の特徴は患者一人ひとりの依存度に合わせた多様な治療法。治療の中核にあるのは「SMARPP(スマープ)」と呼ばれる薬物依存症の集団療法で、松本センター長が中心となって06年に開発した。プログラムでは専用テキストを使って週1回90分ほどかけ自分の実体験や薬物を使いたいときの対処法などを書き込み、お互いに話し合う。
スマープを取り入れている医療機関は全国に40カ所程度。同じ境遇の人同士で自らの思いを正直に話し合い、医師の指導を受けることで継続的な参加につながり、数カ月かけて依存の脱却を目指している。
センター内での診察にとどまらず地域の回復支援施設などとも連携し、治療の選択肢を広げている。例えば比較的軽度の場合は通院によるスマープのほか、患者同士が定期的に集まって体験を語り合う地域の「自助グループ」への参加を勧める。一方、重症患者は通院が難しいため、地域の回復支援施設「ダルク」への入所などを促し、長期の治療プログラムを組む。
PTSD対応課題
治療拠点としての役割とともに、新たな治療法の開発や薬物療法などの研究も同時に進めている。治療法については、現在は男性からの暴力などから心的外傷後ストレス障害(PTSD)を負った女性の薬物依存症患者への治療プログラムがなく、今後取り組んでいくテーマの一つだという。
現状、医療機関では依存度に関わらず、薬物使用者をひとくくりに一定期間入院させて画一的に治療するだけという場合もある。松本センター長は「一言で薬物依存といっても症状は様々。それぞれの患者に合った治療や支援のあり方を見つけないと回復につながらない」と指摘する。
16年には有罪判決を受けた薬物使用者などの刑期の一部を猶予できる「刑の一部執行猶予制度」が施行。対象者は刑の一部を執行された後、保護観察を受けながら医療機関や回復施設でプログラムなどへの参加が義務付けられている。
薬物依存症センターには保釈期間中に治療プログラムを受ける患者もいる。刑務所から出所した後に治療を再開する人もおり、継続した治療の効果への期待も高い。
多様な治療プログラムが広がり社会復帰する人もいる一方、依然として薬物依存症に対する極端なイメージが社会全体で先行している。「依存症は一生治らない」と考える人は多く、患者の差別を助長すると懸念する声もある。
厚生労働省の調査では覚醒剤を今まで1回でも使用したことがある生涯経験率は0.5%。諸外国に比べて低いが、松本センター長は「多くの人が実際に依存症患者と会わずに生涯を終え、植え付けられた誤ったイメージが先行している」と指摘。「患者を社会から排除するのではなく、治療や支援を通じてどうやって再び社会に参加してもらうか考えないといけない」と話している。
◇ ◇ ◇
覚醒剤の再犯、6割超 医療機関は敬遠しがち
警察庁によると覚醒剤で摘発された人が再び摘発される再犯率は2017年時点で約66%。薬物依存症の患者はアルコールやギャンブル依存症に比べてトラブルを起こしやすいと考えられており、多くの医療機関は敬遠しがちなことが再犯の一因とみられる。
さらに医療機関が薬物に手を出した患者と接したときに警察などに通報すべきかどうかという点については国は明確な指針を設けていない。このため治療を避けたいという医師もいる。
医師は刑法で守秘義務が課せられている。このため薬物使用者が受診しても原則として指名手配犯を除いて警察に通報はしない。一方で国立病院などの医師は公務員として通報義務を負う。過去には救急搬送された患者から覚醒剤が検出され、医療機関が警察に通報した事例もある。
だが松本センター長は「通報しなくてもトラブルになるとは考えにくい。特に薬物依存の患者が多い都市部を中心に、受け皿となる拠点を整備しないと再犯率の減少にはつながらない」と強調している。
(石原潤)
[日本経済新聞朝刊2019年1月21日付]
健康や暮らしに役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。