影が写らない写真の不思議 松江泰治が撮る世界の地表
被写体に影が生じない手法で世界各地の「地表」を写してきた写真家の松江泰治。開催中の回顧展では、緻密な構図に想定外の人や動物が写り込む、驚きに満ちた作品を一覧できる。
上部の十字架を頂点に、おもちゃ箱のような四角形の建物がなだらかに広がる。「LIM35040」はペルーの首都リマの墓地を写した縦横1メートル超の大作だ。会場で、見慣れない風景に驚き、近づいて作品をじっくり眺めると右下に腰掛けて談笑する男性らに気付く。目をこらすと、中央にも車座の人々がいる。
「面白いでしょう? 現地の人たちは墓地でよく酒盛りしているんですよ」と松江はほほ笑む。知らない町の墓地という神妙で特別な空間なのに、そこに暮らす人々の気配に気付いた途端、親近感を感じてくるから不思議だ。意図的に人々を写したのか尋ねると「とんでもない」と笑われた。
順光を待ち撮影
「撮影中は構図を決めて太陽が狙った位置に来るのを待ち、できるだけ被写体に影ができない状態で、できるだけ多くの被写体にピントを合わせるので手いっぱい。想定外の動きをする人や動物はプリントしてから気付くことも多い。何度見返しても発見がある」
1980年代から都市や山間地、森林地帯などを訪ね歩き、各地の土地の表面、いわゆる「地表」を写し続けてきた。欧米やアフリカ、中東、アジアと写した土地は数え切れない。
広島市現代美術館で開催中の企画展「松江泰治 地名事典 gazetteer」(2月24日まで)は、松江の初期のモノクロ作品から最新のパノラマ写真や動画まで約200点を集めた初の大回顧展だ。影を映さないために順光で撮影する手法は初期から一貫している。一方で、モノクロからカラー、大判カメラから一眼レフ、そして動画と貪欲に最新技術を取り入れてきた変遷も味わえる。
松江は小学生の時から時刻表を片手に全国を旅し、14歳で46都道府県を制覇した。その頃からカメラに興味を持ち、自分で現像も手掛けるようになった。
計算し客観的に
東京大学理学部で地理学を専攻していた19歳の時、森山大道の写真集「光と影」に出合う。衝撃を受け、撮りためていたスナップショットを持って森山の元に通うが全く相手にされない。「おまえの写真は全然ダメだから、写真をやめてアルバイトでもするか、死に物狂いで撮るかどっちかにしろ」と全否定され、独自の作風の模索が始まった。
緻密に計算された構図で被写体を客観的な視点で切り取る。影が写り込まず、あらゆるものにピントが合った作品は奥行きやコントラストを失い、平面性が際立つ。地名を表すアルファベットや都市コードを組み合わせた記号的なタイトルを付けることで、作品から情感や叙情性は取り除く。世界各地を冷静に記録してきた作品は国内外で高く評価され、2002年には木村伊兵衛賞を受けた。
松江を突き動かすのは、それぞれの土地が持つ固有の面白さや、その瞬間にしか出くわせない出来事が持つ新鮮さだ。
「秋田では農村地帯の中に突然、油田があって異質さに驚いた。モノクロの過去の写真に色がついたら、また違った味わいが出る。山肌にカメラを向けているとヤギが急斜面を駆け下りていく。動画で海を20分くらい撮っていたら、画面の端に突然、平泳ぎで2人の人間が入ってきて、また出て行った。単純にそういうことが面白い」
一見、無機質なのに、見れば見るほど地球上のあらゆる生き物の日常的な営みを偶然に写し撮っていて引き込まれる。松江はこれからも世界各地を撮影して回るという。目指すのは、さまざまな生命が息づく地球の記録を積み重ねていくことなのかもしれない。
(岩本文枝)
[日本経済新聞夕刊2019年1月15日付]
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