出世ナビ

私の課長時代

大前氏や南場氏と社内改革、反対派の調整に腐心 NTT社長 澤田純氏(下)

2019/1/15 日本経済新聞 朝刊

NTT秘書室時代に上司らと(後列左が本人)

■1988年、全国の設備投資担当課長に就く。

全社の事業計画を取りまとめた後、郵政省(現総務省)の認可を得る必要がありました。説明に行った際には、8時間ぶっ続けで役所の担当者から質問攻めに遭うこともありました。質問に答えるために交換機の数などあらゆる数字を覚える必要があり、数字に強くなりましたね。

当時は日米構造協議が始まった頃。米国からは設備投資を増やすように求められていました。一方で経理部門からは設備投資を抑えたいという要求があり、その狭間で各部門の調整に奔走しました。

通称、「一番電話していることが多い課長」とも呼ばれていました。

■90年に秘書室の課長に就き、同年に社長に昇格した児島仁氏のスタッフとなる。

最初は何をしてよいか分からず、1カ月で4キログラムも痩せました。社長挨拶の原案を書いたり、説明資料を作ったりしました。技術系出身で秘書室に勤務したのは私が初めてでした。

日本で最初にポータルサイトを立ち上げたのはNTT研究所ですが、秘書室時代の93年ごろ、NTTの社長室にインターネット回線を入れました。児島さんにインターネットの使い方を説明したりもしました。

グローバルに広がるインターネットの可能性を強く感じましたね。

■同時期にマッキンゼー・アンド・カンパニーとの経営戦略プロジェクトが立ち上がり、社内改革にも取り組んだ。

大前研一さんや後にディー・エヌ・エー(DeNA)を創業する南場智子さん、早稲田大学の教授となった平野正雄さんら今となってはそうそうたるメンバーが集い、グローバルに打って出るべきだとか、法人事業を見直すべきだとか、研究開発の運営管理の在り方を変えるべきだなど、様々な提言を作りました。

プロジェクトのメンバーから真夜中に電話があり、「朝6時までに資料を1枚用意してほしい」と言われたこともよくありました。

NTTを変えようという思いで提言を作りましたが、社内的にはプロジェクトを快く思わない人もいて、その間に入って調整するのも仕事でした。

夕方を過ぎると、みんなお酒を飲み始める。読書家も多く、アメリカの近代哲学などを語る方もいました。本当に素晴らしい方たちで、今でも時々会って、旧交を温めています。凝縮された数年間でした。

あのころ
郵政省の審議会が1989年に、NTT再編の必要性を答申したのを機に、政官民を巻き込んだNTT分離・分割論争が始まる。最終的にNTTは99年、持ち株会社の傘下にNTT東西、長距離・国際のNTTコミュニケーションズを置くという現在の体制に再編された。

[日本経済新聞朝刊 2019年1月15日付]

「私の課長時代」記事一覧

出世ナビ 新着記事

ALL CHANNEL