変わる湯治、運動と食と湯で心も癒やして健康に
温泉地に長く滞在して保養・療養する湯治。2~3週間かけて心身を癒やす慣習が庶民に広がったのは江戸時代とされる。昨今は山歩きや食を組み入れた健康づくりの試みが注目を集める。湯治の今と昔をたどった。
蔵王連峰の懐に抱かれた山形県上山市。開湯560年を超す風情ある温泉地で「クアオルト」構想が進む。ドイツ語で「健康保養地・療養地」。温泉などの自然や気候を生かし健康づくりの場にしようとの活動だ。ドイツでは高血圧などの療養にも活用され、専門医の処方で受けると医療保険の適用対象になる。
上山市は日本型にアレンジし、運動や食と温泉を組み合わせて展開する。山や森の中のウオーキングコースはドイツのミュンヘン大学の認定を受け、専門ガイドが率いる。栄養やカロリーに気を配った食事を用意。経済産業省の旗振りで生まれた、旅で健康増進を狙う「ヘルスツーリズム認証」を受けた旅館もある。
早速体験。雪模様の山道をウオーキングだ。歩く時「心拍数は160マイナス年齢、体の表面は冷たくさらさらに」とガイドの山本晴子さん。汗を上手に蒸発させるよう意識する。最初の休憩で心拍数はかなり上昇。ペースを落とす。ストレッチや「ヤッホ」の声出しも挟み、約3キロメートルを2時間半ほどで歩き終えた。
クアオルトに取り組む旅館「彩花亭 時代屋」の温泉で疲れを癒やす。カロリーを抑えた特製料理は食べ応え十分。市の温泉クアオルト協議会の冨士重人会長は「温泉の原点は健康と療養。立ち返って魅力を発信したい」と語る。
クアオルトの試みは各地に広がる。炭酸泉で有名な長湯温泉がある大分県竹田市。4月には温泉プールなどを備えた拠点が開館予定。日本クアオルト研究機構の小関信行事務局長は「温泉と運動、食の組み合わせは相乗効果が見込める」と強調する。
温泉文化に詳しい千葉商科大学の内田彩准教授によると湯治の歴史は古く、現存する最古の和歌集「万葉集」には伊予国(現在の愛媛県)を訪れた山部赤人が詠んだ温泉をめでる歌がある。「神湯」「薬湯」などと呼ばれ、その後も皇族や貴族が病気療養で温泉に赴いた記録がある。既に湯治は行われていたようだ。
鎌倉時代には源頼朝の参詣を機に伊豆、箱根を巡る「二所詣」が盛んになり、関東の温泉地も目立つようになる。武田信玄や上杉謙信など戦国武将の「隠し湯」の言い伝えも残る。豊臣秀吉は北政所や家臣らと兵庫県の有馬温泉をたびたび訪れた。
庶民に広まったのは江戸時代。街道や宿場町が整備され、参詣や湯治が目的ならば旅も許されるようになったという。武士には湯治休暇があり、農民は冬の農閑期に食材持参で滞在していた。
明治・大正以降は生活様式が変わり、温泉は短期滞在の観光地に。高度成長期は団体旅行客でにぎわったが、バブル崩壊後は客足が遠のく。外国人客に望みをかける所も出始めた。
そこで出てきたのが温泉地の役割を見つめ直す流れだ。環境省は「新・湯治」を掲げ、温泉効果の把握や健康づくり企画を後押しする。内田さんは「温泉地による温故知新の動き」と分析。温泉とともにご当地の食や歴史・文化を楽しむ「ONSEN・ガストロノミーツーリズム」も新たなスタイルのひとつだ。
山口県長門市の俵山温泉。神社の境内でヨガ、地鶏おでんに地酒、俳句体験に露天風呂というウオーキング企画を始めた。「初めてだが懐かしい、とリピーターも多い」と市観光コンベンション協会の南野佳子専務理事。
伝統的な湯治文化は東北や九州を中心に今も残る。ただ生活や旅行のスタイルは時代とともに変わっていく。湯治も健康や体験といった演出・趣向を加え、形を変えながら続いていくのかもしれない。
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職場ぐるみで体験
社員の健康づくりに現代風の湯治を採り入れる企業も出てきた。太陽生命保険などは山形県上山市と協定を結び、クアオルト体験を採用。生活習慣病の予防や改善を図る。
損保ジャパン日本興亜ひまわり生命保険も2018年度から原則全社員に参加を呼びかける。費用は会社持ち。「心身ともに健康になれた」「同僚といいコミュニケーションをとれた」と評判は上々。運動や食事に気をつける動機づけに温泉はピッタリだ。
温泉学者の松田忠徳さんは「連泊して37~40度のぬる湯にゆったり入るのがおすすめ」と語る。松田さんらは週に1回、3カ月間の「通い湯治」も随時企画。現役世代の関心が高いという。
(河野俊)
[NIKKEIプラス1 2018年1月12日付]
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