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経営企画部では同僚と飲みに行きストレスを発散した(左から2番目が本人)

経営企画部では同僚と飲みに行きストレスを発散した(左から2番目が本人)

2002年12月、日商岩井とニチメンの経営統合を発表した。

毎日、資産の評価をして銀行に提出し、売る売らないといった話をしていた頃でした。経営統合を聞き、うまくやれば会社が存続できるとほっとしました。私が知ったのは02年の夏ごろですが、3カ月ほどかけて統合計画を作りました。

例えば、機械部門の子会社だけで日商岩井とニチメンには複数ありました。どれを統合させると資産規模がこうなるといった議論を毎日繰り返しました。当初は「うちの資産内容にはこんな強いモノがある」という駆け引きもありましたが、すぐに建設的な計画づくりとなりました。

経営統合期には退社する社員も続出した。

入社時、日商岩井には5千~6千人の社員がいました。これが経営統合時には2千人を切っていました。優秀な若手から辞めていきました。

報酬を出して辞めて頂いた方もいましたし、責任を感じて辞めた人事担当者もいました。これは本当に寂しかったです。やはり会社が借入金の返済に追われるような状態にしてはいけないと身にしみました。社員が疲弊し、つらい思いをする。身の丈にあった経営をして、会社を二度と苦しい状況に追い込まないというのは常に考えています。

経営統合後、3年半ぶりに営業に復帰した。

自動車第三部の部長になりました。アジア圏のビジネスや自動車工場設備を担当する部署です。長らく資金繰りが厳しく、本当にもうかる事業にしか投資ができない状態が続いていましたが、統合後は投資が再開されたので、明るい雰囲気で始まりました。

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