浜松に俊英ピアニスト集結 コンクール10回重ね成熟
1991年に「楽器の街」浜松市で始まった浜松国際ピアノコンクールは今年で10回目。著名音楽家や地元の支援に関連小説のヒットも相まって、国内外から有力な若手奏者が集まっている。
3連休の初日である11月23日、JR浜松駅前の大型複合施設「アクトシティ浜松」大ホールのロビーには開場数時間前から長蛇の列ができた。この日は浜松国際ピアノコンクールの決勝にあたる「本選」の初日。チケットは予選から本選まで事前に完売し、クラシックのコンクールとしては異例の人気を誇る。
23~24日の本選には日本人4人を含む計6人が進出し、日本を代表する指揮者の一人、高関健が指揮する東京交響楽団をバックにピアノ協奏曲を弾く。24日の3人目に登場したトルコ出身のジャン・チャクムル(20)はリストのピアノ協奏曲第1番を理知的かつ流麗に弾き、優勝を果たした。
チャクムルはコンクール終了後の記者会見で「人生を変える素晴らしい機会になった」と喜びをかみしめた。審査委員長を務めたピアニストの小川典子は「予選からの曲目や楽器の選択なども含め、出場者の皆さんがそれぞれ個性を見せてくれた」とたたえた。
2位になった牛田智大(ともはる)(19)は12歳の時にCDデビューした「天才少年」だ。すでに国内では知られた存在だが、今回コンクールに挑戦し、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を情感込めて弾いた。会見では「本選まで行けるとは思っていなかったので満足している」と語った。
中村紘子が大会の充実に尽力
同コンクールは楽器の街、浜松の名を世界に広める狙いで91年に始まり、3年に1度開かれている。コンクールの名声を高めるのに貢献したのは、第3~7回(97~2009年)に審査委員長を務めたピアニストの故中村紘子だ。伝統あるチャイコフスキー国際コンクールなどでも審査員を務めた中村は国際的にも知られた音楽家を選考委員に招き、将来性のある出場者集めにも奔走。人脈を駆使し、大会の充実に尽力した。
ショパン国際ピアノコンクールで05年に優勝した第5回大会出場者のラファウ・ブレハッチ(ポーランド)など浜松を経て世界に羽ばたく音楽家は着実に増えている。第7回大会で当時最年少の15歳で優勝した韓国のチョ・ソンジンは15年のショパンコンクールを制す。新興の国際音楽コンクール間の競争も激しいが、これにより浜松コンクールの地位はぐっと高まった。
8、9回目(12、15年)の審査委員長を務めたピアニストの海老彰子は予選に室内楽を導入するなどコンクールの質向上に努めた。優勝者には国内外オーケストラと共演する場が設けられ、入賞者も演奏機会は増える。「中村さんが基礎を築き、海老さんが浜松経由で世界に出るルートを確立した」。そう話す小川も今回からCD録音の特典を与えるなど入賞者への後押しに力を入れる。
同コンクールは参加者へのサポートも充実している。今回の応募者は382人で、うち浜松で第1次予選に参加したのは88人。多くがホームステイで市内に滞在。楽器の街だけに市民の関心も高く、会場運営に当たるボランティア体制も整う。出場者は会期中、学校や公共の場でも演奏。本選に残ったことで滞在期間が長くなった5位入賞の務川慧悟(25)は市民と交流する機会も多く「浜松が特別な街になった」と話す。
ピアノコンクール小説のヒットも追い風
ピアノコンクール出場者の人間模様を描いた恩田陸の小説「蜜蜂と遠雷」が昨年直木賞を受賞し、ヒットしたことも追い風だ。恩田は小説執筆のため、第6~9回のコンクールに足を運び、今回も現地で聴いた。プログラムには「いいコンクールにはいい才能が集まる」と寄稿している。
国内外のコンクール事情に詳しいピアニスト・文筆家の青柳いづみこは「浜松は有望な若手の発掘で実績を上げ、室内楽を導入するなど音楽的な充実も図ってきた。今回はこれまで以上に若い才能が選曲や解釈を通じて自分の音楽観を示す場になっていた」と評す。
今後は浜松から他のコンクールにステップアップするのでなく、浜松から直接世界に出て活躍できる体制を築けるかが課題となりそうだ。
(岩崎貴行)
[日本経済新聞夕刊2018年12月3日付]
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