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私の課長時代

想定外の経営企画部 銀行に責められ残業の日々 双日社長 藤本昌義氏(上)

2018/11/27付 日本経済新聞 朝刊

経営破綻した当日のマイカルの「SATY」店舗(2001年9月14日、大阪・茨木市)

■双日の藤本昌義社長(60)は入社時から自動車畑を歩んだ。

日商岩井(現・双日)では1985年から海外勤務となり、96年からはポーランドに駐在しました。帰任前の2000年にオートバイ販売などを担う部署の課長の内示を受けました。

しかし、帰国直前になって「経営企画部に行ってほしい」と別の辞令に接し、驚きました。経営企画部は各営業本部から人材を集め、事業戦略を作る組織です。自動車部門出身の人材に欠員が出たため、帰任前の私をそのままはめようとしたようです。

経営企画部は課長級のポストでしたが、部下はいません。出身母体の工業システム自動車カンパニーの幹部と話すことが多いため、課長級としていたのです。

■当時は経営再建の真っ最中だった。

ふじもと・まさよし 81年(昭56年)東大法卒、日商岩井(現双日)入社。15年常務執行役員、17年から現職。福岡県出身。

98年に金融子会社への債権放棄などで約1600億円の特別損失を計上して以来、財務状況が悪化していました。当時は山一証券の破綻もあり、「うちの会社大丈夫かな」と不安に思っていました。経営企画部に行けば、状況がよく分かるだろうと腹を決めました。

潮目が変わったのが01年秋の総合スーパー、マイカル(現イオンリテール)の経営破綻です。金融情勢が悪化し、日商岩井への不信感が高まりました。銀行から借入金の返済を求められるようになりました。

■日々の資金を捻出するため、連日の深夜勤務に追われる

銀行側からは「3年間の経営計画を来週までに作るように」といった要請が何度もありました。日中は営業部門の責任者に事業の進捗や数字を聞き取り、午前2時すぎまで損益計算書や貸借対照表を自ら作るような日々が始まりました。

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