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パラ選手は悲壮じゃない カメラが消してくれた先入観 写真家 越智貴雄

2018/11/19付 日本経済新聞 朝刊

著者が撮った車いすマラソン世界記録保持者のハインツ・フライ選手(C)Takao Ochi/Kanpara

2000年のシドニーパラリンピックで自分の中に「壁」を見つけた。障害者への「かわいそう」という先入観で出来た壁だ。その壁を崩してくれたのは、カメラのレンズだった。同大会からパラ競技の撮影を始め、夏冬大会を追い続けている。

■カメラ向けていいのかためらう

大阪芸術大学で写真を学んでいた1999年、1年間休学して五輪取材のためにシドニーに飛んだ。婚礼撮影のアルバイトでためたお金をつぎ込んだ。「大会の規模も競技のレベルも全てがすごい」。取材を終えて帰国準備をしていると、ある新聞社からパラの撮影補助の仕事依頼が舞い込んだ。学生にはプロと一緒の経験ができるだけで光栄だ。二つ返事で引き受けた。

写真家の越智貴雄さん

パラは社会復帰に向けたリハビリテーションの延長とみなされた時代がある。今でこそ結果は新聞のスポーツ欄に載るが、当時は社会面。私の認識も社会的支援が必要な人たちのスポーツの祭典というものだった。開幕直前になって、そうした人にカメラを向けていいのかとためらい、日本の母親に電話で相談したほどだった。

そんな心配は開会式の入場行進を見て吹き飛んだ。両足のない選手が逆立ちして片手で体を支えながら、笑顔でもう片方の手を振っている。言葉を失った。障害者がスポーツをするならば、悲壮感があるに違いない。そんな勝手な思い込みが一瞬にして消え去った。

車イスが激しくぶつかるウィルチェアーラグビー、100メートルを11秒台で走る義足のランナー。みんな格好良かった。

■もっと楽しそうで迫力ある写真を

「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ」とはパラの父ルートヴィヒ・グットマン博士の言葉だが、自分こそ失ったものを数え、能力の限界を決めていたことに気付く。

翌01年、東京・銀座で写真展「魂の瞬間」を開いた。優勝してゴールポストにぶら下がりながら涙ぐむ車イスバスケットボールの選手らを撮った作品を、多くの人が見てくれた。だが一人のお客さんが「障害者にスポーツさせるなんてかわいそう」とぽつり。まだまだ力不足だと悟った。

リハビリの延長という印象を払拭するほど楽しそうで迫力ある写真を撮れていなかったのだ。当時は障害の箇所や用具が写るようにしており、ドキッとする感覚、見てはいけないものを見た感覚が現れていた。この世界を十分知らないからこその恐れでもあった。

■障害より選手の個性に目が向く

その後、障害者アスリートと接する機会が増えるに従い障害や用具より個性に目が向く。ドイツのマルクス・レーム選手は「五輪とパラの架け橋になりたい」と語った。彼は義足の右で踏み切る走り幅跳びの世界記録保持者で、五輪記録に匹敵する8メートル40センチ超を跳ぶため、しばしば用具の優位性が議論にのぼる。だが、義足を使いこなす練習や鍛えた身体能力に着目すれば、純粋な競技者としてのパフォーマンスが浮かび上がってくる。

南アフリカの義足ランナー、オスカー・ピストリウス選手も「パラリンピアンの価値を認めさせたい」と繰り返し述べていた。12年ロンドンで五輪とパラに出場し、パラへの見方を変えたのは鮮烈だった。目標は選手の数だけある。そんな当たり前のことを知った。

04年にはパラ競技の魅力を発信する情報サイト「カンパラプレス」を開設した。最近は選手の形相や、したたる汗など純粋な「かっこよさ」を切り取れていると思う。この写真は06年の世界パラ陸上競技選手権で、車いすマラソンの世界記録保持者ハインツ・フライが走る姿を捉えたものだ。

被写体はスポーツにとどまらない。14年に出した写真集「切断ヴィーナス」(白順社)は、パラ取材で知り合った義肢装具士の臼井二美男さんが作る義足の美しさに魅せられ、アクセサリーのように誇らしげに見せる女性11人がモデルだ。「義足は隠すものではない」という臼井さんの言葉に共感する女性たちの個性を引き出そうと考えた。12月には虎ノ門ヒルズ(東京・港)で関連の写真展とイベントを開く。

東京五輪・パラまで613日。スポーツは楽しむもの。それは障害者も変わらない。自分の写真が障害者との壁を崩すきっかけになればと願う。

[日本経済新聞朝刊2018年11月19日付]

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