突然歌うミュージカルの謎 矢口史靖映画の仕掛けとは
矢口史靖監督が初めてのミュージカル映画「ダンスウィズミー」を制作中だ。「普通の人が突然歌い、踊り出すなんて変だ」という監督が、あえて挑む「歌いたくないのに、歌ってしまう」ミュージカル。撮影現場を訪ねた。
「あなた、玉ねぎはお好きですか?」
派手な縦じまのジャケットにピンクのシャツ、口ひげをはやした、うさんくさそうな催眠術師、マーチン上田が問う。演じるのは日本のミュージカル俳優の草分け、84歳の宝田明だ。
矢口史靖監督「ダンスウィズミー」のクライマックス、催眠術ショーのシーンは、10月初旬に埼玉県羽生市のホールで3日かけて撮影された。「札幌市民会館」という設定で、客席はエキストラで埋まっている。
「どっちかというと苦手な方です」。客席から舞台へと駆けてきたサクラの千絵(やしろ優)がそう答えながら舞台上でつまずく。そして抱き上げたマーチンに耳打ちする。「あんたの催眠、本物だよ。あそこの女、完全にかかってる」
マーチンの視線の先には静香(三吉彩花)。息をのみじっと舞台を見ている。
催眠術をかけられ、歌い踊る
総合商社のOLだが、マーチンに「ミュージカルスターになる」という催眠術をかけられて以来、音楽が聞こえると、歌わずにいられない、踊らずにいられない。携帯電話の着メロでも、駅の放送でも歌い踊る。これでは仕事にならないので、術を解いてもらおうと、旅回りのマーチンを追って、札幌まで来たのだ。
千絵がマーチンの尻をパーンとたたく。立ち上がるマーチン。「自信を取り戻せたという笑顔で」と矢口監督が宝田に指示する。
「私が3つ数えるとぉ、この玉ねぎが甘~い甘い~リンゴに見えてくる」。もうマーチンは自信満々だ。
「ワンー」「トゥー」「スリー!」。矢口はカットを細かく割って、マーチンと千絵の表情に迫る。矢口の絵コンテには、このシーンだけで、実に81ものカットが描かれていた。
術をかけられた千絵はタマネギをばりばりかじる。客席から歓声があがる。
このショットの前、アドバイザーとして参加している催眠術師の十文字幻斎が、やしろに本当に催眠術をかけた。後でやしろに聞くと「唾液が甘くなり、タマネギのピリピリした感じがなくなった」という。嘘か実か。舞台を跳びはねながら「これ演技じゃないんです」という、やしろのセリフは高らかだった。
撮影最終日の10月4日。マーチンは次々とミュージカルスターになる催眠術をかけ、静香も千絵も、マーチンを追ってきた消費者金融の男たちも踊り出す。
スモークをたいたキラキラの舞台で、青いドレスの静香と千絵が、山下久美子のヒットナンバーにあわせて踊る。マーチンも踊る。見事にターンを決める宝田。モニターを見つめていた矢口がニヤリと笑った。
「ミュージカルはずっとやりたかった。ただ理由を見つけるのに時間がかかった」と矢口。「ストーリーを止めて、歌い踊るのはおかしい。じゃあストーリーに絡めればいい。思いついたのが催眠術。歌いたくないのに、歌ってしまうことにすればいい」
「映画3本撮った気分」カット数は最多に
ミュージカルは手間もかかるし、時間もかかる。実は「スウィングガールズ」でミュージカル場面を入れようとしたが周囲に「止められた」という。「その理由がよくわかった。今回は3本くらい映画を撮った気分。カット数は今までで一番多い」。セットよりロケーション撮影を好む矢口は、ミュージカル映画もオールロケで撮りあげた。
「ウォーターボーイズ」の妻夫木聡、「スウィングガールズ」の上野樹里ら、後に大成する新人を主演に起用してきた矢口は、今回も三吉彩花を抜てきした。「新人だと時間がたくさんある。みっちり練習できるから」。三吉も「成長できたという実感がある」。
宝田は「ひばり・チエミ・いづみ 三人よれば」以来、54年ぶりの音楽映画出演だ。出演依頼に「おっ来たな。やってやろうか」と思ったという。「アンモナイトみたいにこけが生えてるけど、このリズムならこうと肉体に入っている」と宝田。矢口は「紳士なのに軽快で、ちょっとエッチ。こんなステキなお年寄り、ほかにいない」と称賛した。
編集中。来年夏公開。
(編集委員 古賀重樹)
[日本経済新聞夕刊2018年11月19日付]
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