アパレルから転職 背中見せても部下伸びず
セブン―イレブン・ジャパン社長 古屋一樹氏(上)
団地に狙いを定め日用品や野菜を充実させた店舗(2017年)
1982年、セブン―イレブン・ジャパンに中途入社する。
最初はアパレル企業に就職しました。アメリカ文化へのあこがれやファッションへの興味が強かったからです。転機となったのが、当時住んでいた家の近くにコンビニエンスストアができたことでした。個人経営の酒販店がある日、セブンイレブンに変わったのです。
米国のセブンイレブンには学生時代に旅行した際、訪れたことがありましたが、日本では初めて。店では整然と商品が並べられていて、アメリカ化された店舗だと感銘を受けました。これから間違いなく伸びる業態だと感じ、社員募集に申し込みました。
入社4年で地区統括に。
ふるや・かずき 1973年明治学院大商卒。82年セブン―イレブン・ジャパン入社。00年取締役、09年副社長、16年から現職。東京都出身。
直営店での約1年の勤務をへて、加盟店の経営相談員になりました。加盟店オーナーとともに店舗の売り上げアップに取り組むことが仕事です。売り場作りなど考えたことがすぐに売り上げになって跳ね返ってくることに醍醐味がありました。
私の入社時は1500店程度で、社員の7割が中途入社です。入社時の年齢が30歳を超えていて、年齢が高かったこともあってか、当時でもかなり早い入社4年で、地区を統括するディストリクトマネジャー(DM)になりました。喜びよりも不安が大きかったのを覚えています。
部下に背中で示す。
DMは8人前後の経営相談員を統括します。いまも当時も1人で7~8店を担当するので、50~60店に責任を負う立場です。最初の赴任地が東京・町田地区。今のようにデータがそろっているわけではなく、ほとんどの時間を部下と一緒の店舗訪問に費やしました。