ハロウィーン、なぜ定着? 日本人は昔から仮装好き
10月31日はハロウィーン。欧米発の文化だが、最近では日本でも街に仮装した若者があふれ、あちこちにカボチャの飾りが見られるようになった。日本でここまで浸透したのはなぜなのか。
日本初のハロウィーンパレードとして記録に残っているのは、1983年。東京の玩具・雑貨店「キデイランド原宿店」が販売促進策として企画したのが始まりだ。参加者は約100人。「外国人のお子様が多かったのでは」と同社は推測する。前年には映画「E.T.」が公開。ハロウィーンで仮装する子供たちが登場し、日本で知られる一助になった。
ハロウィーンとは秋の収穫を祝い、悪霊を追い払う古代ケルト人の祭礼が起源。米国では子供たちが魔女やお化けなどに装い、近所を回ってお菓子をもらう風習がある。
外国の行事と見られていたハロウィーンが日本で広まったきっかけは1997年の2つのイベントだ。まずは東京ディズニーランド。もうひとつが川崎市のパレード「カワサキハロウィン」だ。同市のシネコン、チネチッタの開業10周年を記念して、閑散期の秋の集客イベントとして仮装パレードを企画した。
「500人は集めるつもりだったのに応募は30~40人。当時は大人が昼間に仮装して盛り上がるのはあり得なかった」。初回から運営に関わるチッタエンタテイメントの土岐一利常務は振り返る。30人ほどの社員が総出で仮装。複数の劇団にも声を掛けて、当日は約150人が参加した。
2002年ごろから増え始め、近年は2500人前後がパレードに加わる。「インターネットとカメラ付きケータイの存在が大きい」。仮装した自分を撮影し、ネットを介して友人に見てもらうという楽しみ方が広がった。「日本人は恥ずかしがり屋だけど、お祭り好きという面もある。凝り性でもあり、仮装と相性がいいのでは」と土岐常務は見る。10年代以降、若者が仮装する姿が急速に広がった。
実は日本人が古くから仮装を楽しんでいたことは、美術品からも分かる。日本の祭礼に詳しい国学院大学の大東敬明准教授によると、正倉院には仏教儀礼の際につける仮面がある。室町時代の風俗図には大黒やエビスに装った人々が描かれ、庶民が仮装を楽しんでいた姿が垣間見える。
創意工夫を凝らした仮装で踊る文化が花開いたのが慶長9年(1604年)、豊臣秀吉の七回忌を記念した豊国祭礼だという。その模様を描いた「豊国祭礼図屏風」には南蛮人やてんぐ、タケノコのかぶり物をしている人がいる。現代のバラエティー番組にも出てきそうだ。
江戸時代には神田明神と日枝神社の祭りで、江戸っ子たちが町ごとに仮装して行列に加わった。「他の町に負けられないという対抗意識でエスカレートしている」(大東准教授)。京都では天保10年(1839年)に、人々が踊り狂う「ちょうちょう踊り」という騒ぎが突如発生。小澤華嶽「ちょうちょう踊図屏風」にはカエルやカタツムリなどに仮装して踊る人々がいて、確かに「凝り性でお祭り好きな日本人」の姿があった。
仮装だけではない。ハロウィーンが日本で受け入れられたのは絶妙な時期にもある。
博報堂行動デザイン研究所の国田圭作所長によると、10月は商戦のちょうど隙間の時期。「9月は十五夜やお彼岸で夏から秋へと切り替わる時期。11月はワインのボージョレ・ヌーボー解禁後、クリスマスの雰囲気になる。その間を埋める10月のイベントとしてハロウィーンはちょうどよかった」。カボチャのオレンジ色も、秋に目にする紅葉の色に近く、日本人に受け入れられやすいと分析する。
今後も年中行事として定着するのか。「ハロウィーンの日に決まったごちそうがある、など家族全員が参加できるかどうかがカギ」と国田所長は見ている。
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模倣から創造へ進化
カワサキハロウィンを主催するチッタの土岐常務によれば、年々、仮装の完成度が高まっているという。「新たな表現者が出てきて、仮装は次のステージに向かっていると感じる」。例えばピアニストの屋敷華さん(27)は昨年、半魚人にふんし、仮装コンテストで特殊メイクアップ賞を受賞した。
「モンスター」がテーマで、粘土や石こうで型を取り、液体ゴムを硬化させてパーツを作るところから始める。「友達や周りの人がビックリしてくれると、頑張ったかいがあったとうれしくなる」。既存のキャラクターをまねるのではなく、自らのアイデアを膨らませて仮装の枠を押し広げている。
(関優子)
[NIKKEIプラス1 2018年10月27日付]
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