常識揺さぶる「老いの演劇」 苦悩を歓喜に変える力
高齢者の国際舞台芸術祭としては日本初の「世界ゴールド祭」(埼玉県芸術文化振興財団主催)が8日まで2週間、さいたま市で開かれた。雑誌の特集も相次ぐ「老いの演劇」の可能性とは。
9月22日、さいたま市浦和区の埼玉会館。観客30人ほどが「徘徊(はいかい)中」と記されたカードを胸につける。外に出ると、男の若者と老人が抱き合っていた。浦和に帰ってきた写真屋の息子に顔見知りの老人は、徘徊する妻を「探して」と頼む。
認知症を追体験
住み慣れたはずなのに知らない街にいる。そんな認知症の世界を追体験するため観客も街を徘徊する。商店がつかのまの劇場に。
ある店の2階で、認知症の女性が死んだ孫を呼ぶ。突然の大声がリアルだが、実は演劇。彩の国さいたま芸術劇場の高齢者劇団さいたまゴールド・シアターの女優だった。自身、認知症の親の介護経験がある。
この徘徊演劇「よみちにひはくれない」を作・演出した菅原直樹氏は劇団青年団所属で、介護福祉士でもある。特別養護老人ホームの勤務経験から「介護と演劇は相性がいい」と気づいた。東日本大震災後に岡山県に移住、ワークショップを重ね「夜道に日は暮れない、ゆっくりしなさい」という含意の作ができ、老いの演劇の啓発に携わってきた。
9月30日、大宮駅前。歩行者天国にベッドが3台並んだ。「一体なに?」。びっくりした通行人の幾人かが話しかける。横たわるゴールド・シアターの役者が稽古で創作した架空の物語を始める。
「現実なのかアートなのか、ショックを与える」と演出したデービッド・スレイター氏は狙いを明かす。英国でアート・プロジェクトを展開するエンテレキー・アーツのディレクターだ。
高齢化が進む中、演劇の力が見直されている。菅原氏によると、ボケを正そうとすると、徘徊や暴力などの問題行動が悪化しかねない。「よみちにひはくれない」では死んだ孫のふりをする人が現れるが、介護者は俳優として「役」を演じることが大切だという。
介護や福祉の専門誌「ブリコラージュ」の今年夏号で、菅原氏は特集を担当した。仙台で認知症専門病院を率いる藤井昌彦医師が座談会に登場、演劇情動療法に理解を求めている。
藤井医師はこんな話をする。バイオリンを昔たしなんだ患者に演奏の映像を見せながらインタビューすると、記憶が戻って饒舌(じょうぜつ)に話せるようになった。「苦悩的情動」を「歓喜的情動」に変える力をもつのは薬ではなく、演劇だ。また介護者は患者から否定的な反応を繰り返されると、暴力をふるう危険もある。役者の気持ちになるべきだ――。
生のエネルギー
演劇雑誌「悲劇喜劇」は最新号(11月号)で「老いの領分」を特集した。気鋭の劇作家、演出家の岩井秀人氏が今年春、ゴールド・シアターで演出した「ワレワレのモロモロ」を回顧している。平均年齢80歳だけに、セリフも段取りも忘れるという。結果的に「現在、ここで起きている」ことを生々しく舞台化することに。ハプニングを取り込む前衛的手法になった。
さいたま芸術劇場で見たマチュア・アーティスト・ダンス・エクスペリエンス(豪)の「フロック」、カンパニー・オブ・エルダーズ(英)の「トリプルビル」とも、老体の表現が鮮烈だった。ゴールド・シアターを拡大したゴールド・アーツ・クラブの「病は気から」(ノゾエ征爾演出)もモリエール喜劇で「生」のエネルギーを爆発させた。
常識のまなざしを揺さぶる老いの演劇は高齢者と共生し、未知の感動体験を与えてくれるかもしれない。
(編集委員 内田洋一)
[日本経済新聞夕刊2018年10月16日付]
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