ラブホテル・「新移民」… 写真が語る台湾の実像
日本統治を経て、中国との複雑な関係のもとに近代化してきた台湾。現在までの歩みを映す2つの写真展が日本で開催中だ。重層的な写真の数々は台湾社会を知る手掛かりになりそうだ。
東京芸術大学の大学美術館陳列館(東京・上野)で写真展「台湾写真表現の今」が29日まで開催中だ。展示室の一角に、たった今部屋に進入してきたかのようにベッドぎりぎりに止められたスポーツカーや、スパイダーマンの人形が壁をよじ登る派手な浴室の写真が掲げられている。
男女平等の虚実
女性写真家、陳淑貞が台湾のラブホテルで撮った作品の数々だ。利用客の退室後30分間の清掃時に撮影したという写真は乱雑で生々しく、どこか空虚さが漂う。「スポーツカーはスピードへの渇望、スパイダーマンはヒーロー願望。室内には男性の欲望の象徴があふれている。ラブホテルを見ると男女平等を掲げる台湾社会が実際は違うと感じる」と陳は話す。
1960年代以降に生まれ、台湾で制作発表する8人が出展した。写し撮ったのは、美しい景観でも伝統的な暮らしでもない。独自の問題意識で切り取った台湾社会の今だ。
主に東南アジア諸国から台湾に嫁ぎ、「外配」と呼ばれた女性を撮影するのは、女性写真家の侯淑姿。ベトナム出身の女性を撮った作品の隣に、セピア色に加工した同じ写真を並べ、侯自ら聞き取った女性の物語を文章で書き込んだ。
「ベトナム人の花嫁18万台湾ドル(約65万円)」という広告を見た娘に「お父さんはお母さんにいくら払ったの?」と聞かれた女性や、台湾に嫁いだ娘を病気で亡くしたベトナムの母親の話などが載る。色の異なる2枚の写真を並べることで女性の悲哀がより鮮明に浮かび上がる。
侯がこの作品を発表したのと前後して、台湾では外配は「新移民」と呼ばれるようになった。「原住民」「本省人」「外省人」などとともに台湾社会を構成する社会的な集団の一つとみなされているわけだ。その「新移民」に多文化共生社会の希望を見いだすのは杜韻飛だ。彼の巨大な肖像写真は、新移民の母親を持ち、90年代以降に生まれた少年少女たちを被写体にした。
ある少年は韓流タレントをまねした髪形で、原住民と似たようなネックレスを身につける。だが、そのペンダントヘッドはチベットのもののようだ。「台湾でもグローバル化の流れを受け、様々な文化が混じり合っている。400年後には、こうした子供たちが台湾のルーツになっているのではないか」と杜は話す。
激動の時代記録
台湾の国連脱退や蒋介石総統の死、戒厳令の解除、民進党の躍進――。70~90年代の激動の時代に撮影された写真を並べるのは、清里フォトアートミュージアム(山梨県北杜市)の「島の記憶」(12月2日まで)だ。近代化が急速に進んだ当時の台湾社会の雰囲気が写真からは感じ取れる。
陳伝興の「蘆洲(ろしゅう)」シリーズ(73~74年)は、人口流出が続く小さな町で、住民が農業から葬儀ビジネスに転職してゆく現実を静かに写す。農業から商工業に産業構造が移り変わる過程を丹念に記録したのは、阮義忠だ。その作品群は、水門のそばで憩う人々や、釣りかごの中で眠る赤ん坊などをゆったりとした時の流れの中で追っている。
激動の時代を生きた写真家たちは、失われつつある伝統的な社会を報道写真や記録写真の手法で直接的に写した。その後、彼らの関心は、台湾南東部に浮かぶ蘭嶼(らんしょ)郷に住むタオ族や台湾北部から中部の山脈地帯に住むタイヤル族など原住民の生活に移るなど民俗学的な側面が色濃くなる。「こうした重層的な写真を見ることは、台湾がたどってきた複雑な歴史を理解する手掛かりにもなる」と同展を監修した台湾芸術大学の沈昭良准教授は話している。
(岩本文枝、梅野悠)
[日本経済新聞夕刊2018年9月25日付]
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