世界の巨人相手に磨いた技術 航空機開発の「今」作る
IHI社長 満岡次郎氏(上)
航空エンジン開発の苦労は現代につながった。写真は次世代戦闘機用エンジン「XF9」
航空エンジンの設計技術者として、英国に赴任した。
課長になった当時、英ロールス・ロイスなどが設立した合弁会社、インターナショナル・エアロ・エンジンズ(IAE)で開発に携わっていました。私は出資会社の一つ、日本航空機エンジン協会に出向していたのです。
推力を増強した「V2500-A5」というエンジンを担当しました。ところが開発開始のゴーサインが出た後、エンジン内のファンの設計で技術的裏付けが不足していることが判明したのです。このままでは型式証明が取れない可能性がある。残された時間は1年しかありませんでした。
教わる関係から教え合う関係に。
設計を見直すことにしたのですが、その影響はエンジン全体に及びます。日米英独伊5カ国の技術者が知恵を出し合い、設計見直しを議論しました。最終的に日英チームの案をベースに設計を終えました。
みつおか・つぎお 80年(昭55年)東大院修了、石川島播磨重工業(現IHI)入社。16年社長。17年最高経営責任者を兼務。神奈川県出身。
敗戦で再軍備につながる航空機の開発が禁じられていた日本は、ジェットエンジンの開発では後発組。飛行許可を得るためには航空局から証明をもらわなければならないのですが、私が入社した頃は自社の設計図にロールス・ロイスから裏書きをしてもらう状況でした。「先生と生徒」といった関係でしたね。
それが共同開発を通じて双方の関係が徐々に変わりました。私がある設計の説明に立つと、ロールス・ロイスの技術者が集まって次々と質問をぶつけてきます。当局から何が求められ、何を説明しなければならないのか。対策を聞かれるということは相手に認められてきたということです。