歴史小説に絵師ブーム 主人公に作家自身を投影
気鋭の歴史小説家が難しいとされる絵師小説に挑んでいる。近年の日本美術ブームが後押ししている面もあるが、絵師という題材は同じ表現者として作家の心を揺さぶるようだ。
「蝋燭(ろうそく)の火が、屏風に描かれたものを浮かびあがらせる。くちた肌色、吊(つ)りあがり血走った目、落日のような赤は血だ」
直木賞候補にも挙がる木下昌輝(43)。7月刊行の新作「絵金、闇を塗る」(集英社)は、冒頭から木下が得意とする血なまぐさい描写で幕を開ける。絵金こと弘瀬金蔵は幕末から明治に活躍した土佐の絵師だ。
「2012年の作家デビュー前、母の出身地、高知を訪れ『絵金祭り』に参加した。おどろおどろしく妖しい絵を見て、小説にしたいと構想を温めてきた」
本書は、絵金の作品に魅了され、惑わされた志士や歌舞伎役者ら6人の目を通して、絵金が何者なのかに迫った。"脇役"の目から描く連作短編集という手法は17年に出した「敵の名は、宮本武蔵」と同じだ。
ただ「誰もが知る武蔵は、対峙する側の視点を重ねて輪郭を描き出すことで新たな武蔵像を示した。絵金の名はあまり知られておらず史料も乏しい。今回は6人の視点を借り、目隠しされたような状況で闇雲に輪郭をなぞりながら絵金像を浮かび上がらせた」と語る。
題材は人間の業
物語は、幼少期から画才に秀でていた絵金が狩野派の技法を短期間で習得し、土佐藩家老のお抱え絵師となった後、贋作(がんさく)騒動で藩を追われて町絵師になるまでを追う。波瀾(はらん)万丈の人生を送った絵金は「商人、権力者、町人ら様々な階層の価値観を描けるもってこいの人物でもあった」(木下)。
大学院で奈良仏教史を専攻した澤田瞳子(40)が江戸中期に京都で活躍した伊藤若冲(じゃくちゅう)の生涯をつづり直木賞候補になった「若冲」や、自身も絵を描く直木賞作家、朝井まかて(59)が葛飾北斎の娘・応為の半生を描いた「眩(くらら)」を読んで気付いたこともある。
「作家それぞれの価値観が小説の中の絵師の創作姿勢に反映されているように感じた。その意味で、五感に訴えかける文章で人間の業を描きたいというぼくの小説のテーマは絵金に共鳴していた」と木下は語る。
安土桃山時代に活躍した狩野永徳の若き日を描いた「洛中洛外画狂伝」で13年に作家デビューした谷津矢車(32)の新作は続編となる「安土唐獅子画狂伝」(徳間書店)。織田信長から安土城障壁画を描くよう命じられた永徳が全てをなげうって筆を握る姿を描く。
自分に近い存在
デビュー当時は今ほど絵師を題材にした小説は多くなかった。谷津は「担当編集者から戦国を舞台にした小説を書いてほしいと依頼され、自分に近い存在で書けないかと考えたとき、浮かんだのが絵師だった。権力者という依頼する側と絵師という依頼される側の関係が出版社と作家に似ていると思った」と振り返る。
絵を文章で表現する難しさはあった。「何が描かれているかを細かく説明することはできるが、どんな絵かはネットですぐ検索できる。絵から立ち上がるイメージや、どう絵を読み解くかという気付きを与えられたらと筆を進めた」。装画にもある寄り添う2匹の唐獅子の目が、優しく描かれていることに着目した解釈は、読みどころの一つだ。
「歴史小説は過去を扱うが、現代人に向けて書く以上、今にもつながる。癒着し忖度(そんたく)し合うのではなく、美というもので世を渡る覚悟を決めた絵師と、実力本位の中で生きる権力者との闘いを描くことに現代的な意義はある」と谷津は言う。
安部龍太郎(63)が13年に直木賞を受けた「等伯」をはじめとして近年、絵師小説の刊行が目立つ。背景には日本美術ブームもある。新進作家にはハードルは高いが、「絵師を書きたいという作家の企画が通りやすくなった」と文芸評論家の細谷正充氏は指摘する。
その上で「絵師小説は歴史時代小説の大きな鉱脈になりつつある。作家からすれば、同じ創作者である絵師という題材は自身を投影しやすい。まだ描かれていない絵師はたくさんいるし、西洋絵画が本格的に入った明治以降の時代の転換を描くことも可能ではないか」と話す。
(近藤佳宜)
[日本経済新聞夕刊2018年8月20日付]
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