東は腹割り、西は背割り ブームのコッペパン今昔物語
細長くシンプルな形のコッペパン。子供の頃に給食で慣れ親しんだ人も多いはず。最近では様々な具材を挟んで味わえるおしゃれな専門店が続々と登場し、世代を超えて人気を集めている。
コッペパンといえば外せない店があると聞いて、盛岡市へ向かった。JR盛岡駅から歩いて15分。コック帽をかぶったおじさんの看板が印象的な「福田パン」だ。
メニュー表には選べる具材がずらり。注文の3割を占めるあんバター(159円)からピーナツ(139円)、コンビーフ(256円)など実に約50種類以上がそろう。
具材は複数組み合わせてもよし。マイルドコーヒーとチーズを合わせるとティラミス風になるとか。福田潔社長は「これ以上増えると困ると店員に言われる」と苦笑するが、時には期間限定の味も出す。ちなみに社長がよく食べるのはチキンミートだ。
注文を受けるとスタッフがパンを手に取り、へらで具材を塗る。その素早さも必見。休日には2万個も売れるという。創業は1948年。社長の祖父になる初代は宮沢賢治の教え子だった。創業後しばらくして岩手大学の学生向けに作り始めた。食べ応えのある大きさはその名残だ。
「コッペパンの本」の著者、木村衣有子さんは「福田パンと、ここで学んで東京・亀有に開店した吉田パンが人気の火付け役」と指摘する。片手で口に運べる手軽さと選べる楽しさ。ご当地グルメの人気も相まって、テレビ番組などで紹介され火が付いた。
同じく48年に創業したのが山崎製パン。おなじみのコッペパンは創業時から手掛けていた。復刻した「ジャム&マーガリン」など3種類は今も同社人気トップ3の定番だ。ご当地ものも多く、創業地の千葉・市川の梨や、柿、カレーなどこれまで出したのは130種以上。最近は小ぶりなパンも投入している。
実は、コッペパンの形には地域色がある。同社マーケティング部の斉藤高志さんによると、東日本は切れ目を横に入れる「腹割り」、西日本は上から切れ目を入れる「背割り」が主流。同社は全国で腹割り型を販売しているが、売り上げの7割は東日本だ。ちなみに福田パンの福田社長によれば、東北では大きめのサイズが好まれるという。
このコッペパン、いつ頃から食べるようになったのだろう。起源は明確ではないが、米国で学んだ田辺玄平氏が、大正期に軍の依頼で考案したとされる。田辺氏はドライイーストによる製パンを広めたことで知られる。当時はラードを使っていたという。
ではなぜこの形になったのか。田辺氏を祖とする全日本丸十パン商工業協同組合の伊東正浩理事長によると、「食パンより焼き上がりが早く、運びやすかった」。軍の依頼で考案したのも、こうした事情があったようだ。
名前の由来は諸説あるが、フランス語で「切られた」を意味する「クーペ」から転じたというのが有力。形から「鰹節(かつおぶし)パン」と呼ばれた時もあったようだ。
広く知られるようになったのはやはり給食。学校給食歴史館(埼玉県北本市)の大沢次夫館長は「給食に定着したのは50年代」と話す。
当時はコメが不足し、米国から大量の小麦が支援物資として届いた。「炊飯設備の導入コストもネックとなった」と大沢館長は指摘する。当時は固くてパサパサで、現在とは大違い。世代によって、コッペパンのイメージは大きく違いそうだ。
76年に米飯給食が正式導入され、徐々に主役の座から下りていく。最近では「給食で出ないので食べたことがない」と話す若者も。同僚の20代記者は小学校時代、給食のパンは米粉パンだったという。
懐かしさと新しさが交差するコッペパン。進化の波はまだまだ続きそうだ。
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学校風の懐かしい店も
コッペパンを出す店が増えている。喫茶チェーン、コメダ珈琲店を手掛けるコメダは17年から専門店「やわらかシロコッペ」を展開。定番の「小倉マーガリン」や「ポークたまご」などが人気だ。
パン店のサンメリーが運営するのが「パンの田島」。木造校舎をイメージした店内で、給食当番風の制服を着た店員が接客する懐かしさ満載の演出が特徴だ。「トラヤカフェ・あんスタンド」ではあんペーストを生かしたコッペパンが新宿店限定で味わえる。
素朴な外見とは裏腹に奥が深いコッペパンの世界。散歩のついでに、旅先の楽しみに、全国各地の店に足を運んで食べ比べてみるのも一興だ。
(河野俊)
[NIKKEIプラス1 2018年7月14日付]
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