盛岡冷麺 すっきりスープにキムチの辛み・酸味が絶妙
盛岡市には麺好きが多い。一世帯あたりの麺類の購入金額は全国5位、中華麺なら1位だ。わんこそば、盛岡じゃじゃ麺とともに盛岡三大麺の一角を占めるのが盛岡冷麺。朝鮮半島がルーツの冷麺が独自に進化した。
白い器に赤いキムチ、緑色のキュウリ、白と黄色のゆで卵――。半透明の麺はコシが強いものの、ツルッとしてのど越しがいい。牛骨や鶏ガラなどで取るスープはすっきりとしつつ深いコクがある。このスタイルの元祖は1954年に開業した食道園だ。
「父と母が苦心して生み出したんです」。現在、店を経営する青木雅彦さん(62)が説明する。朝鮮出身の父、輝人さん(故人)は知り合いを頼って盛岡に移り住み、飲食店を開いた。その際、故郷で好きだった冷麺をメニューに加えた。最初は銀色の器にそば粉が入った黒っぽい麺。客から「こんなものが食えるか」と言われたという。
母、早苗さん(故人)は客の意見を大学ノートに書きためた。少しずつ味を変え、麺はでんぷんと小麦粉にし、器など見た目にもこだわった。「辛み、しょっぱさ、甘み、酸味のバランスがとれ、次第に人気が出た」。以来、焼き肉とともに冷麺を提供する店が続々と登場した。ちなみに各地に同じ名前の店があるが、一切関係はない。
市中心部から国道46号を西へ車で20分ほど、交通の便は決して良くないのに約1キロの区間に冷麺の店が4店立地する。この「冷麺街道」で先駆けとなったのが髭(ひげ)だ。経営者の村上恒光さん(51)の母、栄子さん(73)が73年、自宅近くに店を構えた。
辛みや酸味を加える自家製キムチは別の容器で出てくる「別辛」のため、黄金色のスープの中で太い麺が目立つ。郊外で店を続ける秘訣は「地元ファンを大事にすること」だ。常連からの「スープ多め」や「キムチ2杯」などの注文にも無料で応じるという。
冷麺が有名になるきっかけは86年に盛岡市で開催された「ニッポンめんサミット」だった。ぴょんぴょん舎を創業した邉(ぴょん)龍雄さん(70)が出品し、一気に注目された。この時、主催者側が初めて「盛岡冷麺」という名前を使い、同店もメニュー名に採用した。
邉さんは日本で生まれ育った在日韓国人2世。「盛岡冷麺は韓国と日本の文化の融合だ。文化は変化していく」とし、工夫を重ねてきた。野菜をたっぷり載せたサラダ風冷麺や、岩手特産の桑の葉の粉を練り込んだ緑色の麺を開発した。誕生から60年余り。盛岡冷麺はまだまだおいしくなっていく。
盛岡冷麺の専門店は盛岡市とその近郊に約30店舗ある。多くは自家製の麺、スープ、キムチを使うため、味が異なる。あまり知られていないのは、店によってしょうゆ冷麺か塩冷麺かに分かれていることだ。見た目では区別できないため、食べ比べて自分好みの味を見つけてほしい。
元祖の食道園は他の店では一般的な季節の果物を載せていない。「味のバランスが崩れる」というのだ。同じ理由で「激辛」にするのはお勧めしない。せめて「別辛」にして、スープを味わってほしい。
(盛岡支局長 冨田龍一)
[日本経済新聞夕刊2018年7月12日付]
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