「素直に入れた」 有馬稲子が語る小津『東京暮色』
離婚、不倫、中絶、死……。陰鬱で苛烈な内容から小津安二郎の異色作とされる「東京暮色」。そこには主演の有馬稲子(86)の実体験もにじむ。近年再評価が進む同作の思い出を有馬に聞いた。
「東京暮色」(1957年)は有馬にとって初の小津作品。だが脚本執筆時、主演の明子役は岸恵子が想定されていた。
当時は全然知らなかった。5、6年前に知ったんです。でも私、よくやってると思いませんか?
岸さんはうまい人だけど、個性が強いから。私のように個性があまりない人がやってちょうどいいんですよ。あの役は。岸さんほど頭がよかったら、あんな男には引っかからない。
私は映画界に入って間もなかった。小津さんの偉大さも知らないで、松竹に行った。だから非常に自然にやれた。あがりもしないで。言われた通りにやった。後に小津さんが偉大な人とわかって、「彼岸花」(58年)の時はあがりました。
演出はほとんどなかった。「セリフ言ってごらん」と言われ、短いセリフを何回も言わされて、「こう言うのよ」と小津さんがなさる。それがうまい。それくらい。全然絞られなかった。
母役に山田五十鈴、姉役に原節子。大女優と臆せず共演した。
山田さんとの対決なんか我ながらよくやってると思う。あがらなかった。後にその偉大さがわかったけど、この時は何とも思ってない。原さんに対しても。
明子は母を知らずに育ち、大陸から引き揚げてきた母と再会する。有馬自身も4歳で釜山の伯母の養女となり、引き揚げ後に実父と再会する。
素直に役に入れた。私も家がややこしい。平穏な家庭に育ってない。明子の複雑な心情はよくわかった。
明子にはずっと母親がいなかった。母親が男を作って大陸に行って。で、帰ってきたとわかって、その母親に詰め寄る。とてもよくわかったな。素直にやって、すーっと通っちゃった。
小津さんに韓国から引き揚げた時の話をお酒飲んだ時にした。16トンの闇船で玄界灘を密航して帰ってきた。客は三十数人。小さなイワシ船で、底が魚臭かった。その話を小津さんが気に入って「ネコちゃん。あの話してよ」って、飲み会で3回くらい言わされた。
明子は恋人に逃げ回られ、子供をおろす。
そういうことも私はわかった。私自身がちょうどそういう経験をしてたから。三好栄子さんがやった堕胎するお医者、うまいよね。すごくよくわかった。
最初に私が家に帰ってくるシーンなんて、我ながらうまいと思う。何ともいえない倦怠(けんたい)感。男を追いかけているのに、いつも逃げられて、子供はできてるし。憂鬱そうな感じがでてる。お父さんには相談できない。お姉さんにも言えない。どうしようかと思ってる。
最後にラーメン屋で男を見つけて、ひっぱたくけど、あれ本当にひっぱたきましたよ。何であのだらしのない男に引っかかったのか、わからないのね。
公開時の評価は低かったけれど、大変な作品だったんだなと思いますね。自分の(女優歴の)前半で賞をあげていい佳作だと思う。
◇ ◇ ◇
〈あらすじ〉 周吉(笠智衆)の長女・孝子(原節子)は夫と不仲で孫娘を連れて実家に戻ってきた。次女・明子(有馬稲子)は恋人の子を身ごもり、叔母に借金しにきた。
逃げる恋人を追って訪ねたマージャン屋で明子は女主人の喜久子(山田五十鈴)と出会う。実は喜久子は周吉の元妻。周吉が京城(現ソウル)赴任中に、男と満州(現中国東北部)に駆け落ち。戦後独りで引き揚げ、今は別の男と暮らす。
明子は不誠実な恋人に絶望し、堕胎。喜久子に「あたしはほんとにお父さんの子なの?」と迫る。その夜、電車にはねられる……。
◇
4K修復版を7日まで角川シネマ新宿で上映。大阪、名古屋などに巡回。ブルーレイ、DVDを4日発売。
(編集委員 古賀重樹)
[日本経済新聞夕刊2018年7月3日付]
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