筒井康隆が説くハイデガー 生のため「死を見つめる」
作家の筒井康隆がハイデガーの哲学書「存在と時間」の入門書を出版した。「文学部唯野教授・最終講義」と銘打ち、「死を思え」と説く哲学を「面白く語る」ことを目指した。
難解なハイデガー
「存在と時間」はドイツの哲学者ハイデガー(1889~1976年)の主著で、過去・現在・未来という通常の時間概念とは異なる根源的な「時間性」に人間存在の意味を見いだしたとされる。内容が難解なこともあって、昨年刊行の轟孝夫「ハイデガー『存在と時間』入門」など解説書はこれまでも多数出ている。
5月に刊行された筒井の「誰にもわかるハイデガー」(河出書房新社)は「存在と時間」について論じた1990年の講演録を大幅に加筆修正した。その語り口は大学政治のドタバタ劇と文芸批評理論の変遷を描き、大ベストセラーとなった長編小説「文学部唯野教授」(90年)の主人公を彷彿(ほうふつ)させる。「最終講義」という副題がついたゆえんだろう。
「話した内容を原稿に起こしたものを読んだら、これでは話にならないと感じた。同じ接続詞の繰り返しが鼻についたり、語尾にも変なパターンがあったり。僕の本だったら面白くしなくてはダメだと思い、一から書き直した」と筒井は振り返る。
とはいえ「存在と時間」の解釈に変わりはなく、骨格は頭に残っていた。「ハイデガーは死を魅力的に描いている。といって青年を死に近づけるようなものではない。一言で言えば『死を忘れるな』ということ。死を見つめるからこそ本質的な生の意味をとらえられる。働いている人にもやる気を起こさせる考えだと思う。明確にどこがとは言えないが、ぼくの創作にも影響を与えている」
ユーモアをプラス
「誰にもわかるハイデガー」の「解説」で社会学者の大澤真幸は「よくわかる上に、『存在と時間』のエッセンスをまことに的確に抽出している」と記す。その上で「『存在と時間』というテクストをつきはなした、ユーモアを含んだ語り口」を評価する。
筒井はそれに対して「語り口を重視した分、厳密さに欠けるところが出てしまうのではないかと思っていたが、大澤さんの解説を読んで安心した」と述べる。
「存在と時間」は27年に出版されると熱狂的に受け入れられた。その理由について、当時の欧州が第1次世界大戦後という「特別な時間の中」にあったからでは、と大澤は指摘。筒井は「今の世界は救いを求め、みんながハイデガーに向かった時代に戻っている感じもする。民主主義に疑問を持つ人が増えているでしょう。僕も民主主義は嫌いだが、まだかわるものが見つかっていない」と話す。
ハイデガーに関心を抱いたきっかけとして、筒井は88年に入院して死を身近に感じたことを本書で挙げる。胃に穴が2つあいたのは、「文学部唯野教授」と「残像に口紅を」という「やっかいなもの」を連載中だったからだ。
「『残像に口紅を』は作中で音(おん)が一つずつ消えていく小説。ワープロを使い、消えた音のキーの上に画鋲(がびょう)を逆さにして張り、打てないようにした。でもどっちが大変かといえば『唯野教授』の方だった」
2015年、81歳のときに神の存在を問う「モナドの領域」を「最後の長編」として出版した。以降は小説の執筆は短編に絞っており、今年に入って「ダークナイト・ミッドナイト」を「文学界」3月号に、「白笑疑」を「新潮」3月号に発表した。「子供の頃の思い出など短編はいろいろなところから発想する」と述べ、創作の種が尽きることはないようだ。
「今は一日に一フレーズ書けたら良い方」と言いつつも「セレンディピティー(予期せぬ出合い)はよくある」とも。常に新たな驚きをもたらす筒井作品とはまだまだ出合えそうだ。
(編集委員 中野稔)
[日本経済新聞夕刊2018年6月12日付]
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