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私の課長時代

日本で大失敗したバイク、フランス子会社救う ヤマハ発動機社長 日高祥博氏(上)

2018/6/12 日本経済新聞 朝刊

決算説明会に出席した日高祥博社長(2018年2月13日)

■1987年、日高祥博社長(54)はヤマハ発動機に入社した。

大学時代にバイクを買いに販売店を訪れた際、ヤマハ発の大型バイクにひと目ぼれしました。それからヤマハ党です。配属された購買部でモノ作りをみっちり学びました。

■7年目の春、結婚直後にフランス子会社への赴任が決まる。

結婚してすぐにフランス赴任を言い渡されました。「家族と相談させてください」と答えながら、内心ではすぐに決心しました。

ひだか・よしひろ 87年(昭62年)名大法卒、ヤマハ発動機入社。14年執行役員、17年取締役上席執行役員、18年から現職。愛知県出身。

フランス子会社のMBKは、モトベカンというバイクメーカーでした。ヤマハ発の傘下に入り再建途上だったのが、私が現地工場の調達部に着任した年に黒字転換しました。日本で大失敗したスクーター「BW’S(ビーウィズ)」の金型が余っていて、MBKに無償で譲渡。日本で支持されなかったデザインが受け、爆発的にヒットしたのです。

赴任してみると、1モデルごとに原価の構成表や目標コストを立てていくら売れば採算を達成する、というような当たり前の仕組みがありません。5年でこの仕組みを根付かせようと決意しました。

■フランスではビーウィズの新モデルの部材調達が最初の仕事となる。

初代ビーウィズは日本から型を持ってきて、フランスではほぼ組み立てただけ。新モデルは現地で型を起こし、目標コストを割り当てながら造り込みます。

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