『海を駆ける』 重層的な物語の面白さ
波のあいだから湧いて出たように、まる裸の男が海からやって来る。砂浜を歩き、バッタリとたおれる。
インドネシア、バンダ・アチェの海岸である。
『淵に立つ』(2016年)の深田晃司監督の新作は、インドネシアを舞台に現地のスタッフ、キャストも協同してつくられた。
はなしの中心となるのは鶴田真由が演じる日本人、貴子と、インドネシア人の夫とのあいだに生まれた息子のタカシ(太賀)の家だ。夫はジャカルタにいる。ちなみに、鶴田は深田作品『ほとりの朔子』(13年)でインドネシア研究家を演じていた。今回は、ちゃんとインドネシア語を話し、息子役の太賀は、ネイティブという設定だから、彼女以上に流暢(りゅうちょう)だ。
ディーン・フジオカが演じる海から来た男は、記憶喪失らしく、だが日本語を口にしたということで、貴子の家であずかることになる。海を意味する「ラウ」という仮称がつけられる。
ラウがうたうように声を発すると、死んだ魚がはね出し、手をかざすと枯れた花がよみがえる。死にそうなこどもも治癒できた。不思議な能力が彼にはある。それなのに、何もかたらずひっそりと存在感を消しているようなたたずまい。その点は『淵に立つ』の浅野忠信の黒い存在感と好対照。
ラウとは何者なのか。ゴジラが太平洋のむこうに散った日本軍兵士の怨念の黒い塊という解釈があるように、2004年の津波でうしなわれた17万人以上のアチェ州民の魂の化身、といった解釈もできるだろう。
だが、それはひとつの解釈にすぎない。そのまえにタカシの従妹サチコ(阿部純子)の父の遺灰をまくべき場所をさがすはなし、太平洋戦争の記憶、アチェ州独立戦争の傷あと、等のはなしが、ラウとともに重層的に展開されていく、ものがたりのおもしろさにこころをうばわれる。1時間47分。
★★★★
(映画評論家 宇田川幸洋)
[日本経済新聞夕刊2018年5月25日付]
★★★★☆ 見逃せない
★★★☆☆ 見応えあり
★★☆☆☆ それなりに楽しめる
★☆☆☆☆ 話題作だけど…
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