プールで無理なくリハビリ 認知症予防も期待
温水プールで無理なくリハビリできる水中運動が広がっている。単なる水中ウオーキングではなく、専門家の指導者の下で水の浮力と抵抗を利用し、手足の運動能力の回復や心身の健康を目指す。特に脳梗塞など脳血管疾患のリハビリに有効で、認知症予防の効果も期待されている。
堺市にある「デイサービスひなた」。この最大270人が利用できる西日本最大規模の通所介護施設には長さ15メートルの温水プールがある。水治運動療法士の指導で高齢者がリハビリに日々取り組む。療法士は日本水治運動療法協会の水野加寿理事長から直接指導を受けた水中運動の専門家だ。
2年前に脳梗塞で倒れた堺市の広内与枝さん(70)は、週5回の水中運動を欠かさない。「泳げへんけど、中腰でゆっくり歩いたり、ボールを水中に沈める訓練をしたり。難しいけど楽しいわ」と笑顔で話す。陸上ではできない運動が可能になる。体の負担がなく、無理なく続けやすいことが水中運動の大きなメリットだ。認定に応じて介護保険が適用されるので、少額の負担で利用できる。
ひなたの平野壮哲代表によると、両手を膝に挟んで中腰で歩くリハビリ(イラスト(1)参照)は陸上ではきつい運動だが、体重が約10分の1になる水中なら無理なくできる。腰が自然に伸び、腰痛や股関節痛を和らげる効果がある。水中でボールを横や縦に動かす動作(同(2))は、手先を器用に動かす巧緻(こうち)性の回復に役立つという。
さらに、31度の水温が免疫力を向上させ、水圧が血流を促す。水の浮力によって体力のない高齢者や障害者も体への負担を気にせず運動ができ、反対に水の抵抗を利用すれば運動負荷を自由に調整できる。
「私たちが目指すのは介護からの卒業。残された機能を極力生かして自宅で自分らしく生活できるよう支援している」と平野代表。広内さんは「最初は歩けなかったけど、今では自宅の階段も上り下りできるようになった。今は岡山の母に自力で会いに行くのが目標。目標があればがんばれる」と話す。
ひなたには、くも膜下出血で倒れ、水中運動を1年半続けて施設内の音楽教室でピアノ講師を務めるまで回復した人もいる。
全国のプール施設や水中運動についての情報をインターネット上で提供するサイト「水夢(スイム)王国」を運営する藤木太郎さん(74)によると、屋内の温水プールを備えた病院やリハビリ・運動施設は全国で72カ所あるという。サイトでは、所在地や施設などの情報を紹介している。
藤木さんは国体への出場経験もある水泳選手だった。水中運動の研究を続けていた9年前、事故で半身不随になり、研究者から当事者に。「水の中だと転倒を恐れずに足が前に出せる。浮力の底力を自ら実感した」と藤木さんは言う。
水中運動を35年研究し、自らプールを作ってしまった人もいる。筑波大名誉教授(医学博士)でつくばアクアライフ研究所の野村武男所長。「水中運動で100歳まで元気」を合言葉に、自宅の隣に15メートルプールをつくり「デイサービスセンターVividつくば」を13年に開設した。要介護の高齢者30人が通っている。
2年前から週4日通う荒木信江さん(80)は「プールでみんなと一緒に運動するのが楽しい。最近は数字を覚えるのが好きになり、声が大きくなった」と喜ぶ。週1~2回のペースで4年間通う高野節子さん(82)は変形性脊椎症。「水中で手足を動かしているうちに1年ぐらいで腰と膝の痛みが和らぎ、つまずいて転ぶことがなくなった」と笑顔で話す。水の力は心の健康と自立も支えている。
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プールの確保 普及に不可欠
アクアライフ研究所の野村武男所長は「水中では筋肉がリラックスし、陸上と違う刺激を脳に与える。この刺激が認知症の予防や改善効果を生むと考えられる」と説明する。
水中運動の普及の課題はプールの確保だ。水夢王国の藤木太郎さんは学校プールの屋内化やゴミ焼却場の余熱を利用した安価な温水プールの建設を訴える。「リハビリ用小型プールは低コストで作れる」と話す。
1日には、プールに親しんでもらおうと、水夢王国のサイト開設20周年記念として、アーティスティックスイミング(旧シンクロナイズドスイミング)スペイン代表を招いたイベントを東京・辰巳で開いた。
経済面の課題もある。水中運動の先進国ドイツで研究経験がある野村所長は「ドイツでは水中運動と温浴は治療として医療保険が適用される。さらに環境整備が進めば、日本でも水中運動は身近なリハビリとして広がるだろう」と指摘する。
(大久保潤)
[日本経済新聞夕刊2018年5月9日付]
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