名匠の遺品から貴重な発見 中国映画史の修正迫る

「風雨之夜(嵐の夜)」の一場面=国立映画アーカイブ提供
「風雨之夜(嵐の夜)」の一場面=国立映画アーカイブ提供

時代劇映画の名匠、衣笠貞之助監督の遺品から発見された中国の無声映画が話題を呼んでいる。中国映画史の修正を迫る内容なのだ。現地で取材した著述家の高橋政陽氏が報告する。

著述家 高橋政陽氏

灯(あかり)が落とされると銀幕に医師の往診を受ける若い夫婦が映し出された。ピアノが静かな彩(いろどり)を加える。

1925年、上海で公開された無声映画「風雨之夜」が4月18日、北京国際映画祭の一環として中国電影資料館で93年ぶりに伴奏付きで上映された。昨年12月から北京、南京、上海、香港で研究者向けに披露されたが伴奏は見送られていた。

上映に若者集う

初の一般向け上映に前売り券は完売。800席の会場は20~30代の若い映画ファンが9割以上を占め、関心の高さをうかがわせた。

「風雨之夜」は大中華百合影片公司が制作。原作と監督は20年代文壇を席巻した鴛鴦胡蝶(えんおうこちょう)派文学の巨匠、朱痩菊による。鴛鴦胡蝶派は恋愛を主たる題材とし、この作品でも朱監督本人がモデルであろう作家夫婦が、都会での仕事に疲れ静養に出た郊外で遭遇したラブアフェアーがコミカルに描かれている。

「保存状態も素晴らしいしダブル不倫ともなるストーリーが25年に編まれていたことには目を見張る」

隣に座った20代の若者は単なる映画ファンと自称しながら、専門的な感想を口にした。

衣笠貞之助監督=時事

このフィルムは中国国内では散逸。2011年、衣笠貞之助監督の遺族から東京国立近代美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)に寄贈された遺品の中に含まれていたことが判明した。日本の一部メディアと香港の月刊総合誌がこの奇跡を報じたが、大陸にこの情報が届くには数年の時間を要した。

14年12月、上海戯劇学院のシンポジウムで教授の石川氏から朱監督の外孫、正心氏を紹介され、石氏とともに筆者もフィルムセンターとの交渉にあたることになった。所有権、版権が複雑に絡み合った交渉は時間を要し、ブルーレイに落とした作品が大陸の地を踏んだのは昨秋のことだった。

1920年代に勃興か

「20年代にこれほど精緻な作品を制作していたことは中国映画史に書き直しを迫ることになろう」(石氏)

中国映画は30年代に勃興したとする従来の定説は修正される必要があると石氏は指摘する。また衣笠監督は28年から30年に自らの作品「十字路」を携えて訪欧する前後に上海に立ち寄り、この際にフィルムを入手したものとみられる。これが究明されれば反骨の映画人、岩崎昶(あきら)と作家の魯迅から30年代に始まったとされる日中映画人交流史も時計の針を前に戻さざるをえないことになるだろうと中国映画史研究家の刈間文俊氏は指摘する。

「『十字路』は衣笠監督が作家の横光利一ら新感覚派から影響を受けて撮影された作品。新感覚派から影響を受けた作家は中国にもおり、なぜ衣笠監督がこのフィルムを入手したのか、その経路が明らかになれば日中映画人交流史の新たな地平が明らかになる」(刈間氏)

今なお政治から強い影響を受ける中国の映画と文学には歴史的な空白がいくつも残されている。「風雨之夜」は勿論(もちろん)のこと、日本がその設立に大きく関係した満洲映画協会、川喜多長政が率いた中華電影の研究は中国では未(いま)だに禁忌で、中国の研究者は史料にあたることすらかなわない。

日中平和友好条約締結40周年の今年、政府主導のもと映画の共同制作に向けた取り組みが動き出した。しかし、両国が不幸な歴史を将来の鑑とするのであれば、共同制作と同時に、いやそれ以前に両国が所蔵する貴重なフィルム、史料の交換などによって歴史の実像を共有することが求められるのではないか。

[日本経済新聞夕刊2018年5月8日付]

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