台湾巻き込むJリーグ 観客集めに下部クラブが熱Jリーグ開幕25年(上)

日本のスポーツ施設はほとんどが自治体の持ち物で、管理を委ねられたクラブはJ1鹿島やG大阪などごく一部。下部リーグとなると、店賃(たなちん)の払いに窮するクラブがざらにある。ただの店子(たなこ)から施設の管理人になって、試合のない日のイベント開催などの注文をとる側に回れたら……。このビジネスモデルはこれからのスタジアム構想に不可欠で、FC琉球も「何らかの形で運営に関わりたい」と意気込む。

同じJ3の秋田にもスタジアム構想があるほか、これからJ参入を目指すクラブも意欲的だ。日本フットボールリーグ(JFL)のFC今治(愛媛県今治市)は、昨年完成した5000人収容の器を自前で運営、J1基準を満たす1万5000人規模の施設新造も検討する。東北社会人2部リーグのいわきFCも福島県いわき市と協力して構想を抱く。

スタジアムを住まいに、そこに集う人をファミリーに。津々浦々で始まった「マイホーム計画」は、リーグが次の25年を歩むための羅針盤となるはずだ。

地元の飲食店がテントにずらり

ガンバ大阪の試合会場周辺はお祭りの露天市さながらのにぎわいになる(2014年11月)

キックオフを前にしたG大阪のパナソニックスタジアム吹田(大阪府吹田市)の回廊は、お祭りの露天市さながらのにぎわいだ。たこやきの有名店、地元のフレンチやうどん店が、腹をすかせたサポーターを待ち構えている。

その昔、本拠地だった万博記念競技場の場内売店は効率優先で冷凍ものを売り、揚げ物のたこやきは「これ、たこやきちゃうで」となじられた。メニューも貧相で「食い倒れどころか、食糧難スタジアムや」というありがたくもない異名を奉られた。場内営業は別業者の管轄だったため、クラブに打つ手はなかった。

そこで伊藤慎次・現営業部長は会場の外、最寄り駅からの通り道にテント出店を募り、門前町よろしく「市」を立てた。それが2008年に始めた「美味G(おいじい)横丁」。2015年に完成した現パナソニックスタジアム吹田にもこの市は受け継がれ、店の数は16から29に。年商総額約2億5千万円、先代の横丁の約2倍になった。

スタジアムの指定管理者になったG大阪は、これからは自分の「家」をデザインできる。場内の画面とスマホを連動させて飲食物を注文できるシステム、スマホなしでもブレスレットで入出場できるゲート。観客の満足度を高めるアイデアを温めている。

伊藤部長がG大阪で勤め始めた30年前、冬に青々とした芝生でプレーできることも夢物語だった。サッカーのインフラが整ったのも「Jリーグが生まれたからこそ」。そう語りながら伊藤部長は夢の続きを思い描く。

「スタジアムを試合のない日も地域の人が集まり、愛される場にしたい。外周はランニングコースに使ってほしいし、ウオーキング教室を開くのもいい」

浦和のサッカーの歴史展示

JR浦和駅地下通路に今春、「浦和サッカーストリート」が完成した。埼玉県のサッカー史が、浦和レッズの歩みとともに一望できる。

有数の師範学校チームが創設された約110年前から、脈々と息づくサッカーの歴史が浦和にはある。その地にクラブが誕生した25年前の熱気を、畑中隆一ホームタウン・普及担当本部長は覚えている。「町全体がレッズの一挙手一投足に関心を寄せ、そんな地元ファンへホームタウン優先販売チケットを企画し、恩返ししたものでした」

四半世紀が過ぎ、レッズのメイン会場は浦和から離れた埼玉スタジアムになった。新たに移り住む住民が増え、おらが町に誇れるサッカーの歴史のあることを「知らない」という中学生もいる。

「ここがサッカーの町であることをいま一度感じてもらい、その歴史を共有したい」。クラブとしての決意をサッカーストリートに込めたという。「地域との結びつきこそクラブの生きる土壌。人気や集客も、その土壌なしには生まれない」

展示コーナーの古びた写真の前で、男性が孫に語りかけていた。「この選手、おじいちゃんだよ」。こうした人々とともに次の25年も歩むのだと畑中部長は思っている。

[日本経済新聞朝刊2018年5月1日付を再構成]

後編の「Jリーグをもっと使ってよ 地域貢献の形多彩に」では、地元の廃校跡をクラブハウスに改装した水戸、スタジアムの芝生のノウハウを耕作放棄地の再生に生かしている鳥取などの事例を紹介しています。