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初任地の静岡では新しい機器を使った手術の仕方を外科医に教える。写真はイメージ=PIXTA

初任地の静岡では新しい機器を使った手術の仕方を外科医に教える。写真はイメージ=PIXTA

ジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)日本法人の日色保社長(52)はバブル最盛期の1988年、同社に入社した。

初任地の静岡県では営業所がなく、自宅に電話とファクスを置いて、病院などを回りました。手術室の中でベテランの外科医に腹腔(ふくくう)鏡など新しい機器を使った新しい手術の仕方を教えました。

26歳で8人の部下を持つマネジャーに就く。

カテーテルや内視鏡を使って患者の負担を軽くする「低侵襲」手術の先駆けの時代でした。米国では既に主流となっており、日本でも大型投資をして部門の規模が約100人と従来の3倍になりました。大量採用で管理職が不足し、白羽の矢が立ったのが営業経験3年半の私でした。

ひいろ・たもつ 1988年(昭63年)静岡大人文卒、ジョンソン・エンド・ジョンソン入社。05年にJ&Jグループ会社社長。12年から現職。愛知県出身。

ひいろ・たもつ 1988年(昭63年)静岡大人文卒、ジョンソン・エンド・ジョンソン入社。05年にJ&Jグループ会社社長。12年から現職。愛知県出身。

8人の部下には3歳ほどの年長者や新入社員もいました。部下をマネジメントする点では、今振り返るとうまくいきませんでした。自らがやっていたことを部下にまねさせ、自分のコピーを作ろうとしていたのです。これに気づいたのは、94年の米国研修での経験でした。

一生の恩人に出会う。

会社は経営体制の強化を目的に米国からプロジェクトマネジャーを呼び寄せました。後に私の恩人となるウディー・スターブです。

全国の営業マネジャーを集めた会議で、彼は体系的なトレーニングやマネジメントの重要性を熱く訴えました。しかし、聞いている日本人社員たちはまったくの無反応でした。ホテルで会議を終え、会社に戻る途中、「This is Pain(つらい)」。彼は、そう漏らしました。

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