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2001年に完成したパイプライン敷設船の前で日ロ政府要人と(イスタンブール、右端が本人)

2001年に完成したパイプライン敷設船の前で日ロ政府要人と(イスタンブール、右端が本人)

1998年、黒海にガスのパイプラインを通すプロジェクトに関わる。

ロシアの広い国土を巡り、石油会社を訪問して新しいプロジェクトを探し回りました。そんなときに引っかかったのがガスプロムの「ブルー・ストリーム計画」でした。南ロシアのクラスノダールからトルコの首都アンカラまで黒海の海底を1250キロメートルのパイプラインでつなぐという壮大なプロジェクトでした。

計画に必要な資金が不足していることを突き止め、日本輸出入銀行(現国際協力銀行)などとプロジェクトに関われないか探りました。需要が不透明だったトルコにガスを販売した代金ではなく、別の案件で販売したガス代金を担保にするなど工夫を重ねて参画しました。

融資と共に日本製のパイプも売り込んだ。

黒海の海底は硫黄分が多く、普段はパイプの内側だけする防さび用コーティングを外側にもしなければなりません。さらに水深2200メートルです。ゆがみが少しでもあれば、水圧でひび割れが入ります。特殊なパイプを日本企業と共に開発し、売り込みました。高品質のパイプを正価で買ってもらおうとして、交渉は厳しいものとなりました。

交渉には自分が全部決める気持ちで挑みました。いちいち本社や取引先に確認しないと決められないようでは、「伝書バトに用はない」といわれます。当時は課長代理でしたが、自分が部長ぐらいの気持ちでやっていました。一定の幅で本社からの了解はもらっていましたが、逆にこれだったら本社を説得できると思えば自分で踏み込んで決断しました。血尿が出て痛風を発症するなど体力勝負の交渉が続きました。

03年からは中東を担当した。

イランで新しい仕事を探しました。イランとの交渉はロシアよりもっと大変でした。イラン人は米国人や英国人の弁護士を交渉に付けてくれません。契約書を交わす段階になって約款の一行一行について、これは借り手の権利を阻害しているなどと交渉が始まるので忍耐強くなりました。

イランへは投資はせず、化学プラントなど25億ドルほどの融資を手掛けました。それぞれの国の成熟度や制度、投資環境に応じて仕事のやり方はあります。未踏の地のガイドとして、プロジェクトに参画してくれる仲間を募って、仕事として仕上げるのが我々の仕事です。

あのころ
 2000年代に入っても海外での資源開発など事業展開に積極的で、03年にはブラジルの総合資源会社ヴァーレの持ち株会社に出資した。06年には海外地域本部制を導入、米州、欧州、アジアという3極体制で世界での事業拡大を進めた。
[日本経済新聞朝刊2018年3月27日付]

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