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「粘りと勘」のバレー五輪選手、印刷機でトップ営業に 富士フイルムデジタルプレス 蔭山弘道さん

2018/3/1付

インクジェットデジタル印刷機を販売する富士フイルムデジタルプレス(東京・江東)の営業部第1グループ担当部長、蔭山弘道さん(50)は元バレーボール選手で五輪に出場した異色の経歴を持つ。今は市場で稼働する富士フイルム製のデジタル印刷機の2割を売るトップ営業マン。バレーで培った勝負勘と粘り強さで、今日も営業の第一線で戦う。

身長2メートル。顧客は蔭山さんを一度見ると忘れない。そんな大柄の体をかがめながら、柔らかい表情と語り口で顧客の懐に飛び込み、大型商談をたぐり寄せる。

法政大学を卒業後、富士写真フイルム(現富士フイルム)のバレーボール部に入部し、選手として10年間活躍した。セッター以外はどのポジションもこなし、1992年の日本リーグではエーススパイカーとしてチームをけん引。優勝に貢献した蔭山さんは「ベスト6」に選ばれた。大学時代は日本代表として88年のソウル五輪に出場した。

2000年に引退。同世代の仲間が指導者に転じるなか、蔭山さんはバレー人生に一区切りをつけた。「スポーツの経験を生かして営業をやりたかった」からだ。

配属されたのは印刷システム事業部(現グラフィックシステム事業部)。刷版などの印刷材料を取り扱う部署だが、商品知識はゼロ。じっとしていられず、とにかく顧客の元に通った。

前任者が門前払いされた企業にも臆せずに飛び込んでいった。そうした日々が営業マンとしての血となり肉となっていった。

忘れられない商談がある。まだ営業に転身して日が浅い02~03年に、年間売上高1000億円規模の印刷会社を担当した。当時、その会社は富士フイルムの印刷材料を一切使っていなかった。

どうすれば採用してもらえるか。蔭山さんは「商品を使ってください」とは言わず、過去の経緯や要望を聞いて回った。名刺交換した後は記載されている番号に電話をかけ、関係を築いていった。次第に幹部陣とも親しくなり、細かい情報を話してくれるようになった。ピーク時は「また来たの」と言われながら週3回は通った。フットワークの軽さと対応の速さには何よりもこだわった。

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