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海外関連の仕事でも手腕を発揮した(左端が本人)

米アンハイザー・ブッシュ社(AB)との契約締結後、経営企画部へ異動となった。

異動はまさに青天の霹靂(へきれき)で、「バドワイザー」を日本で確立しようと思っていた矢先でした。当時、キリンビールは長期の経営構想を策定中で、それには4つのポイントがありました。私に課せられたのはその一つの「ブランドの価値向上」でした。

2001年にアサヒビールに国内ビール市場でのシェア首位を奪われ、会社の雰囲気は「キリンで働くことに夢が見いだせない」といった声が上がるほど落ち込みました。当時の社長の「夢のある会社でありたい」との思いからプロジェクトは始まったのです。

ブランド戦略の立案に苦慮した。

まさに生みの苦しみでした。06年3月に立ち上がった専管部署、グループブランド室の室長を任されましたが、メンバーは私を含めて3人。他の2人も私と同様、ブランドについての知識がなく、3人でいつも会議室で考えていました。

数字で表すことができないブランド戦略に正解はないのです。役員もそれぞれ「キリンはこうあるべきだ」とイメージが違う。全員の意見を聞くと、ある意味心地のいい丸いモノが出来上がりますが、それでは駄目です。泥沼にはまるばかりで、役員会はいつも炎上しました。

フォーラムなどへ足を運び、知り合った人に「おたくのブランドではどんな施策をやっているのですか」と聞いて回りました。直接話を聞きに行ったのは電機や鉄道など10社を超えました。しかし、悩んでいることは皆同じでした。

悩みに悩む中、1人で考える時間の大切さを知る。

ブランド室で作り上げたモノにはグループの経営理念や、アルファベットを使った「KIRIN」の社章など、現在使われているものもあります。限られた期間でしたが、物事を深く考える大切さを学びました。当時は1人の時間を持つため、出社前に1時間ほど会社近くの喫茶店で自分の考えを紙に書き出すことを習慣にしていました。今も1人で考える時間を週に2、3度確保しています。

管理職時代はABとの交渉など、突破口が見えない仕事が多かったと思います。その中で意識したのは「思いあれば道あり」。困難に直面しても、解決できると信じて取り組めば道は開ける。社員には「夢を持ち、実現できるように諦めないで努力する」ことを伝え続けています。

あのころ
 国内のビール系飲料のシェア争いが激化した一方、05年に現在まで続く市場縮小が始まった。各社の海外展開や多角化はさらに加速。キリングループはフィリピンのビール大手への出資に加え、メルシャンの子会社化や協和発酵キリンの設立など多角化戦略を進めた。
[日本経済新聞朝刊2018年1月30日付]

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