変わるおみくじ ガチャガチャ式や、外国語対応も
まもなくお正月。初詣で「おみくじ」を引き、新年の運勢を占う人も多いだろう。そんな伝統の「おみくじ」が変わり始めている。吉と出るか、凶と出るか。その場の一喜一憂にとどまらない、楽しみ方も広がっている。
京都市北部の山中にある貴船神社。ここのおみくじが、よく当たる上に一風変わっていると聞き、山道を急いだ。
200円を払い手に入れたが、真っ白な空欄が並ぶだけ。聞けば、水に浮かべると文字が表に浮かび出る方式だという。石清水に浸し30秒、くっきりと表れた我が運勢は「小吉」。いや、そんなはずはと読み進むと、隅っこに小さなQRコードが印刷されているのに気がついた。
「外国の観光客の方から問い合わせが多いので、2016年から始めました」と神社の担当者は話す。試しにスマートフォンで読み込むと、専用のページへ飛んだ。日本語、英語、中文(簡体と繁体)、ハングルから一つ選べば、文面が翻訳され、音声で読み上げてくれる仕組みだ。
英語で「小吉」は「Small Blessing」。異国の言葉がおごそかに告げる運勢が、抗しがたく響いた。
今や多言語対応まで始まったおみくじだが、もとは「神仏のお告げを伝えるものだった」と中世日本文学専門の平野多恵・成蹊大学教授はいう。庶民に広まったのは江戸時代。ルーツとされる中国の書籍「天竺霊籤(てんじくれいせん)」を基に、「元三大師百籤(がんさんだいしひゃくせん)」などが編まれた。これが日本版おみくじの原本。後に書籍のページが独立し1枚の紙になったのが、よく見るおみくじというわけだ。
「元三大師」をめくると合計100の運勢が並び、中国伝来の五言絶句の漢詩が添えられている。本来は「この漢詩を解釈し運勢を理解していた」(平野教授)が、分かりやすくするため、吉凶が割り振られるようになった。
具体的には「第一大吉」で始まり、「第百凶」で終わる。100の内訳は、大吉から末吉までの「吉」が合計70。残る30が「凶」。実はこの比率、今も連綿と続いている。
毎年、初詣客でにぎわう東京の浅草寺は「凶が多い」という都市伝説がある。本当だろうか。
おみくじを研究する鏑木麻矢さんに聞くと「最近は縁起が悪いといって『凶』を減らしたり、『大吉』の上に『大大吉』や『大仏吉』を加えたりする寺社がある」。これに対し浅草寺は江戸時代の版木を使い、吉凶の割合は昔のまま。その結果、相対的に凶が多いと感じるのかもしれない。
そして時代は平成の末へ。今どきのおみくじは「マスコット化が進んでいる」と鏑木さんは指摘する。
郷土玩具の動物や「めでたい」と掛けた鯛(たい)、神話に登場する「八咫烏(やたがらす)」、七転び八起きのだるまなど、小さな愛くるしい人形との組み合わせが増えている。
おみくじといえば細長い紙。境内の木に結んで帰る人が多かった。引いた後も手元に置いて楽しめるので、参詣の土産として人気がある。
遊びの要素が加わってきたのも最近の特徴。神田明神(東京・千代田)ではガチャガチャで販売している。もれなく平将門などのフィギュアが付く。おみくじが主役か、それともフィギュアか。もはや判然としない。
おみくじ本舗(大阪市)の「地獄ミクジィ」はパーティーグッズの需要を狙う。地獄なので「吉はなく、すべて凶」(寺内孝典社長)。遊び心満載の商品だ。
時が移れどおみくじが廃れないのは、開くまで何が出るかわからないドキドキ感があるからだろう。「とはいえ」と平野教授は注文をつける。
「本来おみくじで重要なのは、そこに書かれた内容。吉凶に一喜一憂せず、じっくりかみ締めて読んでほしい」
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「女子道社」が全国に広げる
「女子道社」という会社をご存じだろうか。山口県周南市の山中にある二所山田神社が運営する小さな会社だが、国内のおみくじでトップのシェアを握っているという。
発端は明治末。当時の宮本重胤宮司が神職に女性を登用すべきだとする「女子道」を唱え、その活動の資金源として考え出したのがおみくじの販売だった。自動販売機も開発し、全国に広がった。
お寺のおみくじは漢詩が多いが、神社は和歌が主流。明治の神仏分離を機に、神社が日本伝統の表現様式を選んだためだが、重胤氏が歌人であった影響もある。
二所山田神社でおみくじを引いてみた。値段はなんと20円。破格の安さは製造直売の故のようだ。
(田辺省二)
[NIKKEIプラス1 2017年12月23日付]
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