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私の課長時代

支店長から法人営業へ、金融辞典頼りに苦闘 野村HDグループCEO 永井浩二氏(下)

2017/10/24付 日本経済新聞 朝刊

法人営業時代、三共の故・高藤鉄雄元社長(右)らと(左端が本人)

■1999年、40歳で本社法人部門に異動になった。

 入社以来の希望だった法人営業への異動がやっとかないました。秘書や社用車が付いた支店長時代とは様変わりし、投資銀行マンになりました。

 周囲から「お前、何かしでかしたのか」と心配されました。私自身は「会社がようやくチャンスをくれた」と思いましたが、すぐに後悔しました。社内会議や顧客との間で飛び交う専門用語が全く理解できない。本屋で金融辞典を調べる、といったありさまでした。

 法人営業では三共(現・第一三共)をはじめとした大企業を担当しました。ただ、素人の私が相手で相手側は迷惑だったかもしれません。

 当社が単独主幹事の場合、決算発表の日には担当が企業の役員を野村の本社から東京証券取引所に連れて行くんです。でも、何も知らない私は野村本社で担当企業の副社長をにこやかに送り出してしまい、「うん?」とけげんな表情をされたこともありました。

■投資銀行業務の経験を重ねていくなかで、多くの学びもあった。

 法人営業はリレーです。(企業買収や増資など)大きな案件が取れたとしても決して自分だけの手柄ではない。独力で新規顧客を開拓すればいい個人向け営業とは違いました。担当者が企業との親密な関係を維持し、次へバトンを着実に渡していくのが、法人営業では何より重要でした。

 企業の資金調達を取り仕切るには、社内のいくつもの部門の協力も欠かせません。快く協力してもらうために社内の関係を良好に保つようにも努めました。

■2000年には部長に昇格し、部下と1日5、6件の企業を訪問する多忙な日々を送った。

 どんな顧客でも事前準備が大切でした。顧客と会えるのはせいぜい30分ですが、1~2時間話せるぐらいの準備が必要です。趣味なども含めた情報を収集した上で、相手に気持ちよく話してもらえる環境をどう作り出すか。優秀な投資銀行マンには、徹底した事前準備と巧みなやり取りがあることを学びました。

 個人営業と法人営業は車の両輪です。当社が国内の株式や債券の引き受けに強いのは、提案力だけが理由ではありません。個人投資家向けの圧倒的な販売力があるから、企業が野村を頼ってくれるのです。個人、法人の両方を経験してきた者として、その両者の不可分の関係を大切にしていきたいと考えています。

あのころ
 1990年代後半は世界的にIT(情報技術)株が急騰した。2000年代に入るとITバブルが崩壊して株価は下落、証券会社の収益も低迷した。野村は01年10月、持ち株会社野村ホールディングス(HD)を設立し、グループ経営に移行した。

[日本経済新聞朝刊2017年10月24日付]

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