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私の課長時代

「どれだけ稼げるか」競争に疑問 顧客との信頼構築へ 野村HDグループCEO 永井浩二氏(上)

2017/10/17付 日本経済新聞 朝刊

■野村ホールディングス(HD)の永井浩二グループ最高経営責任者(CEO、58)は入社後、高松支店に4年間勤務した後、本店営業部に抜てきされた。

 野村は若手を積極登用する「キープヤング」が徹底していました。20代の終わりに本店営業部で「課長席」と呼ばれる課長級になり、部下を6人持ちました。営業がどれだけ稼げるかという競争が全ての時代でした。でも課長席になって今までのやり方ではダメだと気付きました。

 株や投資信託をただ売るのではなく、いかにお客さまの資産を守りながら投資してもらうのか。顧客との信頼関係を築けなければ、いけないと感じました。

 営業支店に行くと、「課長席になったらどうしたらいいですか」と聞かれます。私は「部下を自分色に染め上げていいんだよ」と答えています。ただ「部下があなたと同じ年齢になった時、今のあなたより上のレベルになるように育てよ」とも伝えています。

■1988年に従業員組合専従に。後半は委員長を務めた。

 それまでは男ばかりの社会でした。ところが組合は違います。立場も価値観も異なる1万3000人の老若男女の組合員をまとめなければいけないのです。

ながい・こうじ 1981年(昭56年)中大法卒、野村証券入社。2012年8月野村ホールディングス(HD)グループ最高経営責任者(CEO)。東京都出身。

 必要なのはロジック(論理)なんだと気付かされました。みんなを納得させる芯がなければ組織は崩壊してしまう。当時「ミディさん」と呼ばれる女性の営業部隊がいました。彼女らを従業員組合に組み込もうとしたのですが、組合内から「なんで彼女たちを入れるのか」と反発されました。

 必死に「それが組合員全体の幸せにつながる」と説得しました。執拗な抵抗でくじけそうになった執行委員には「純粋に組合と会社のためにやっているじゃないか」と鼓舞しました。

 ぶれない姿勢を貫き、最後の総会で決議できました。委員長時代の91年には損失補填問題で社内が大揺れに。本社への怒りが収まらない組合員と何度も議論を重ね、現場をまとめることに腐心しました。

■豊橋支店と岡山支店で支店長を務めた。

 支店では論理的な裏付けのある営業戦略を練ることに注力しました。部下に人口動態などを分析させ、どこに営業のチャンスがあるかを判断させるようにしました。支店内で人事評定会議を開き、課長級の社員が自分の部下以外の人間も全て評価する仕組みを導入しました。縦割り組織を変える狙いがありました。

あのころ
 80年代の日本はバブルに沸き、日経平均株価は89年末に3万8915円の史上最高値を付けた。だが、90年代にバブルが崩壊すると状況は一変。証券業界も総会屋の利益供与事件など不祥事が相次いだ。野村証券は91年に損失補填問題の責任を取り、当時のトップが辞任した。

[日本経済新聞朝刊2017年10月17日付]

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