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がん治療後に出産の道 受精卵など凍結、学会が指針 不妊クリニックと連携進む

2017/10/16付 日本経済新聞 朝刊

卵子は液体窒素入りタンクで凍結、保管する

がんを治療しなければならないが、投薬などの影響で子どもを産めなくなるのはつらい。こんな悩みへの一つの答えとして、治療前などに受精卵や卵子、卵巣の一部を採って凍結保存し、何年か後に治療を中断または終了してから解かして使い妊娠・出産をめざす「妊孕性(にんようせい)温存」が期待を集めている。2017年夏に学会の指針ができ、安全に実施するための態勢が整ってきた。

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「この治療をすると子どもが産めなくなる可能性があります」。がん研究会有明病院の大野真司乳腺センター長は乳がん患者にこうした説明を繰り返し、意思を確認している。30代の多くは子どもをつくる道を残したがるという。

■乳がん年間9万人

女性のがんで患者数がもっとも多い乳がんは、国内で年間約9万人がかかる。約7割は比較的進行が遅く、外科手術でがんを切除後、5~10年間ホルモン剤などで再発を防ぐ。この間は血中ホルモンのバランスが崩れるため、妊娠を避けるのが普通だ。

治療が一段落し「さあ、子どもをつくろう」と思う頃には年齢が高すぎて妊娠・出産が難しくなるケースが多い。患者は「治療か出産か」という究極の選択を迫られる。これを「治療も出産も」に変えようというのが妊孕性、つまり妊娠する機能の温存だ。

ホルモン療法では途中で中断して妊娠の機会を確保し、出産後再開する方法がある。自然妊娠が可能な場合もあるが、あらかじめ卵子や受精卵を凍結保存しておく希望が増えている。

治療をいつ中断するか、がん再発の心配はないかなど明らかにすべき点も多いため、日米欧などが国際共同臨床試験を始めた。準備中を含め21カ国が参加。がん研有明病院や国立がん研究センター中央病院、聖マリアンナ医科大学病院などが入っている。

14~28年に、18~42歳の約500人の乳がん患者を対象に実施する。多くが受精卵などの凍結をする見通し。妊娠・出産率、がんの再発率などを調べ、出産後も含め健康を10年間追跡する。

国内で妊孕性温存の目的で受精卵や卵子、卵巣を凍結保存するがん患者はまだ少ないが需要はある。厚生労働省研究班は今春に出した報告書で、がん患者や未婚、既婚者の比率、実績などから年約2600人が凍結保存の対象になりうると推定。必要な費用は年約8億8千万円と見積もった。

研究班長を務めた聖マリアンナ医大の鈴木直教授によると、がんの専門医で生殖医療にも詳しい医師は少ない。一方、不妊治療クリニックは生殖医療を優先しがちだとの指摘もある。乳がん患者が十分な情報を得ないまま妊孕性温存の機会を逸したり、緊急の処置が必要な白血病患者が治療を遅らせてがんが悪化したりするのを防ぐ必要がある。

そこで、日本癌治療学会が分野横断的な作業部会を発足し、妊孕性温存に関する診療ガイドラインを作成、7月に公表した。男性の精子の凍結保存なども想定している。成人に加え、小児がん患者の将来の妊孕性をどう考えるかについても盛り込んだ。

■患者をすぐに紹介

日本がん・生殖医療学会は地域のがん治療を担う医療機関と不妊治療クリニックとのネットワークづくりも進め、準備中を含め計20カ所程度で連携への取り組みがある。がんの治療医と専門クリニックの医師らが日ごろから交流、診療ガイドラインなどの情報を共有し、患者をすぐに紹介できる態勢を整える。

「凍結保存した受精卵は宝物。がん治療の励みになる」。静岡がんと生殖医療ネットワークを15年に組織した望月修・セキールレディースクリニック副院長は若くしてがんになった女性患者のこうした言葉が忘れられない。最近移った群馬県でも、静岡で培ったノウハウを生かして連携網を築きたいという。

受精卵などの凍結や保管の費用を合わせると100万円単位になるため、公的助成を求める声もある。近くまとまる国の第3期がん対策推進基本計画は「AYA世代(思春期~若年成人)のがん」の対策として妊孕性温存の支援態勢の整備などを盛り込む見通し。厚労省はAYA世代などのがん対策の検討会を設け、助成の可能性も議論する予定だ。

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■専門の心理士を養成 どう寄り添う 手探り

多くの患者にとって、がんと診断されて気持ちが混乱している時に、将来の妊娠について冷静に考えるのは難しい。精神面のサポートが必要だが、がんと生殖医療の両方の知識をもつカウンセラーがほとんどいないのが課題だった。

こうしたなかで日本がん・生殖医療学会と日本生殖心理学会が共同で「がん・生殖医療専門心理士」の資格制度を開始し、初年度の2016年度は18人を認定した。17年度は16人が養成講座を受講中だ。患者や心理士の役割を決めての模擬実習や診療現場への陪席を通してさまざまな場面に対応できるようにする。

とはいえ、どうすればうまく患者に寄り添い意思決定を支えられるかは手探り状態だ。厚生労働省の研究費で、カウンセリングの効果などを調べる臨床試験が始まっている。聖マリアンナ医科大学病院、東京慈恵会医科大学付属病院、亀田総合病院などを受診した乳がん患者とその夫の計74組の夫婦が対象だ。

これまでの分析で妻は心的外傷後ストレス障害(PTSD)に陥りにくくなるなどの傾向がみられた。夫から妻へのコミュニケーションもとりやすくなっていた。未婚の乳がん患者や精子凍結をした男性を対象にした試験も計画する。がん・生殖医療専門心理士の小泉智恵・国立成育医療研究センター研究員は「妊孕性の温存を勧めるわけではないが、選択肢を伝え落ち着いて考える機会を提供することは大切」としている。

(編集委員 安藤淳)

[日本経済新聞朝刊2017年10月16日付]

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