山崎努、超俗の画家に挑む 13年ぶりに映画主演
超俗の画家、熊谷守一を、80歳になった名優、山崎努が演じる――。晩年の熊谷がこもった自宅の庭での1日を描く沖田修一監督「モリのいる場所」の制作が進んでいる。撮影現場を訪ねた。
夏の光がまぶしい神奈川県葉山町。7月7日、熊谷守一の東京の旧宅を模した家は草いきれがした。庭は実物より少し広く、緑が生い茂り、チョウが舞う。鳥が鳴く。小さな池もある。
生命力満ちる庭
軒先の地面に「アリの巣あります。注意!!」の文字。撮影に使うためだ。庭先の白い網の中にはアゲハやルリタテハなど様々なチョウ。生き物係の助監督はヤモリやアメンボも飼っている。縁側には守一が飼う大小の鳥かごが9つも並ぶ。庭中が生命力に満ちる。
小さな門に光石研が立つ。長野の温泉旅館の主で大きな板を抱えている。書も一流の守一に、看板の揮(き)毫(ごう)を頼みに来たのだ。
居間に白髪に白髭、もんぺをはき、補聴器をつけた山崎努が現れた。1974年7月だから94歳の守一という設定だ。脚が弱って、つえを手放さない。もう30年近く自宅を出ていない。
それなのにこの家はにぎやかだ。画商、工事の男、ガスの集金人、知らない男。守一の揮毫を見ようと集まったやじ馬であふれている。樹木希林演じる妻が墨をすり、守一が筆を選ぶ。
横向きに差し出された香りのいいヒノキの板を、縦に向けさせた守一。ひじを付き、畳を這い、手を伸ばす。みなが息をのむ。旅館名を口にする主に目もくれず、守一が一気に書く。
「無一物(むいちもつ)」
守一が好きな言葉だ。あぜんとする主を置き「じゃ、どうも」と庭へ出て行く。
この序盤の重要なシーンで、沖田は粘った。8人の俳優の位置を何度も変えてみる。騒がしいやじ馬たちの傍らで、黙々と書に向かう山崎の間をどうもたせるか、あれこれ試す。猛暑の中、山崎らベテラン俳優陣が、監督の熱意に応える。
沖田は芝居を見ながら、よく笑う。「自分の笑い声でNGになったこともある」と沖田。監督の反応が俳優やスタッフに直に伝わる。沖田組の空気だ。
7月12日。守一が虫や石を眺めていたという庭のシーンの撮影。加瀬亮演じる写真家が助手と共に声を潜めて守一を見つめている。
茶色の帽子をかぶった守一。写真家が「天狗の腰掛け」と名付けた場所に座り、微動だにしない。手のひらの石をじっと見ている。草木ばかりが風に揺れる。
「あ、動いた」
守一が石を左ひざにゆっくり移す。写真家が後ろ手でカメラをつかむ。
石見つめ一日
石を見つめ、アリを見つめ、過ぎていく一日。「先生にとって、この庭は宇宙みたいなもんだ」と写真家。守一は屈託なく2人に手招きする。「おーい、アブが飛んでる。一緒に見よう」
きっかけは「キツツキと雨」(2011年)だった。沖田は岐阜での撮影シーンに出演した山崎から熊谷守一の存在を教えられる。「近くに美術館があるから、行くといいよ」と。沖田は「山崎さんが演じるなら面白そうだ」と考え、15年から取材を開始。16年11月に脚本の初稿を書き上げ、山崎にオファー。快諾された。
「1日の話に絞ることで、30年を想像させる。それは、ただアリがいるだけの絵なのに、描かなかったものが息を潜めている守一の絵に通じるのでは」と沖田。
藤森武の写真集「独楽 熊谷守一の世界」に魅了されたという沖田だが、山崎と話し合い「僕らなりの守一像を探すことにした」。
13年ぶりの主演映画となる山崎は、守一について「人柄に惚(ほ)れている」という。役作りは難しく「苦肉の策として、守一さんに仮面を被(かぶ)せることにした」。写真集には放心したような顔、「同席の人や状況と関わらないような、まさに仮面」がある。そんな仮面として山崎は「渋面」を選び、表情の変化をあえて殺した。
自著に「朝起きて虫になっていたとしても、ちっとも不思議じゃない」と書く山崎に、沖田は「庭を見て毎日新しい発見をした守一と似ている部分がある」と考えた。そして「山崎像を守一像に落とし込んだ」。
沖田も葉山に半ば住み込み、日がな庭を見て、虫を捕る内に、日々の変化に気づいた。「庭にいると一日一日が早かった」。撮影を終え、仕上げ中。来年公開。
(編集委員 古賀重樹)
[日本経済新聞夕刊2017年10月16日付]
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