角田光代 源氏物語に挑む 現代語訳、歯切れよく
作家の角田光代が「源氏物語」の現代語訳(全3巻)に挑んでいる。歯切れよく、わかりやすい文章にすることで読み通しやすい訳書を目指したという。上巻が近く刊行される。
「源氏物語」は約1千年前、紫式部によって書かれた。光源氏が様々な女性と繰り広げる恋愛を中心に、生と死、権力闘争など平安貴族社会の内実を描いたもので、「桐壺(きりつぼ)」から「夢浮橋」まで54帖(じょう)ある。
これまで与謝野晶子、谷崎潤一郎らが現代語訳に取り組んできた。角田訳「源氏物語」(河出書房新社)は2014年に刊行が始まった「池澤夏樹個人編集 日本文学全集」の一つだ。
感情表現に共感
「『源氏物語』は学生時代にいくつかの帖を読んだだけで、特に好きなわけではなかった。すでに立派な現代語訳もあるのに、との思いもあった。でも私が唯一持っている作家のサイン本は、池澤さんの『海図と航海日誌』。そんな方に(訳者に)指名されたら引き受けざるを得ませんでした」
思い入れがない分、プレッシャーはなかったが、どんな立ち位置で現代語訳に取り組むかは迷った。「私に求められているのは何だろうと考えた。そこで思い当たったのがわかりやすさ。原文は一文が長いので切る。逆に(現代の読者にとって)言葉足らずと感じる箇所は補いました」
例えば「桐壺」冒頭の部分。帝に寵愛(ちょうあい)され、後に光源氏の母となる女性の地位は「女御より劣る更衣」であり、「与えられた部屋は桐壺」という説明を加えた。一方、地の文の敬語はできるだけ削り、頭に入ってきやすい歯切れのよい文章を心がけた。
文末は「自分が書き慣れていることと、やはり読みやすさを考え、『だ・である』調を選んだ」という。
現代語訳を進めていくうち、「源氏物語」の魅力にも改めて気づいた。「登場する女性たちは感情表現によって顔を与えられていると感じました。それは現代でも『ああ、分かるなあ』と思う感情です」
中でも胸にひしひしと迫ってきたのが上巻最後の「少女(おとめ)」の帖。光源氏の子である夕霧と、幼なじみの雲居の雁(かり)との初恋を描いている。「2人が引き裂かれたときは、思わず泣いてしまった。それは現代語訳に取り組んで初めての経験でした」
小説執筆は休止中
「――ところで光君という名は、高麗人の人相見が源氏を賞賛してそう名づけた、と言い伝えられているとのこと……」(「桐壺」)とあるように、「源氏物語」には「草子地の文」と呼ばれる作者とおぼしき声が登場する。「(人物や和歌を)いちいち挙げるのはやめておきますと宣言する箇所を読むと、面倒と感じていたのだろうと思う。作者が身近に感じられて興味深い」と述べ、その部分を目立たせるようにした。
「源氏物語」に取り組むため、15年春から小説執筆は休止中。「現代語訳が小説にどんな影響を及ぼすかは自分では分からない。でも周囲の方々が『必ず役立つはず』と言ってくれるので、それを信じています。確かに"小説心"を起こさせる要素はたまっています」。中巻は18年5月、下巻は18年末~19年の刊行を予定している。
(編集委員 中野稔)
[日本経済新聞夕刊2017年9月5日付]
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