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本読みが生む自然な演技 濱口監督『寝ても覚めても』

2017/9/6 日本経済新聞 夕刊

東出昌大(右)を演出する濱口竜介。(左)は唐田えりか(東京・富ケ谷)

「ハッピーアワー」で国際的に注目された濱口竜介監督が新作「寝ても覚めても」を制作中だ。まるで記録映画のように自然でリアルな濱口演出の秘訣は、現場での独特の本読みにあった。

窓からビルの谷間越しに代々木公園の緑が見下ろせるオフィスビルの一角。7月30日の朝、亮平(東出昌大)が勤める「紅錦酒造」の会議室のシーンの撮影準備が進んでいた。

8時15分。ヒロイン朝子役の唐田えりかと東出の準備が整うと、濱口が呼ばれた。隣室で監督と俳優だけの「本読み」をするためだ。

15分ほどで濱口らは戻ってきた。東出は紺のスーツ、しまのネクタイ。東京に転勤してきた亮平が会議の後片付けをする場面だ。

■現場ですべてを

「ニュアンスは?」と東出が濱口に問う。「ニュアンスなしで。さっきと同じ。動きだけやってみよう」と濱口。さっそく甲高い声で「ヨーイ、ハイ!」。

「すいません、一人でやらせて」「あー、いえいえ」「大阪から来たばっかりで、こんな雑用、すいません」「いやいや、新参者なんで、このぐらいは、全然」

女性社員と亮平のセリフのやりとりにまったく感情がない。イントネーションも抑揚もない。まるで電話帳を読んでいるようだ。

濱口は毎日現場に入ると俳優を集め、この「電話帳読み」をさせる。現場の一角にこもり、これから撮るシーンを読む。時にはカメラの前でもやらせる。

なぜか。「現場ですべてを決めたいから」と濱口。通常、俳優はそれぞれセリフ回しを考えて撮影現場に来る。しかし濱口は「いったんそれを捨てさせる」。現場で一緒に本読みをして「役者をフラットな状態にする」。テキストだけを身体に入れ、ニュアンスの発生は現場にまかせる。自然な反応を引き出すためだ。

俳優が集まって脚本を読む「本読み」は、撮影所時代によく行われたが、近年は重視されない。濱口は非職業俳優を起用した「ハッピーアワー」であえてこれを採用した。

ニュアンスを排した「電話帳読み」は巨匠ジャン・ルノワールの方法にならった。「ハッピーアワー」で主演した4人はまったく演技経験がなかったが、あたかもドキュメンタリーのようなリアルな演技が評価され、ロカルノ国際映画祭で女優賞に輝いた。

動きを確認した後は、テストもなく、いきなり本番。セリフのやりとりに自然な感情がこもる。濱口はほとんど1、2回でOKを出す。「若いテイクの方が良い。重ねると驚きがなくなる」と濱口。動き以外はほとんど指示しない。

■芝居は直に見る

カメラの脇でじかに演技を見つめる濱口(東京・四谷)

濱口が映画史に学んだのは「本読み」だけではない。本番中はレンズの真横に立ち、直に芝居を見る。2本の指でフレームを作り、片目でのぞく。モニターは見ない。「モニターだけを見ていると、役者がモノのように見えてしまう。直接見られている感覚がある方が役者も良い」

次の場面。近くの喫茶店で働く朝子が会議室にポットを回収に来る。朝子は亮平を見て立ちすくむ。

「バク」「え?」「……麦(ばく)?」「あー、動物園?」

突然去った恋人の麦にそっくりなのだ。朝子はろうばいする。亮平はわけがわからない……。ぽかんとした東出を置いて、会議室を飛び出した唐田は涙ぐんでいた。濱口マジックだ!

原作は柴崎友香の同名小説。忘れられないかつての恋人と、同じ顔をした現在の恋人の間で朝子の心は揺れる。映画では東出が麦と亮平の二役を演じる。「緻密な日常描写と荒唐無稽な展開の混在が面白い。映画にしたいと思った」と濱口。

5時間を超す「ハッピーアワー」など長尺作品が多い濱口だが、今回は2時間に収める。原作の流れはそのままだが、登場人物を絞り、場面設定も変えた。写真展を双子の写真で知られる牛腸茂雄の個展にしたこと、男女が親睦を深めるボルダリング(岩登り)ジムの場面などは映画のオリジナル。ただ具体的な場所や事物を背景に、男女の心の機微を描く点は同じだ。

会議室のカレンダーは2011年2月。原作と違う。亮平を避け続ける朝子は、翌月の11日をどう迎えるのか……。「恋愛の話ではあるが、社会の流れを感じさせる。そこは原作と同じ。震災はどうしても絡んでくる」と濱口。撮影を終え、編集中。来年公開。

(編集委員 古賀重樹)

[日本経済新聞夕刊2017年9月4日付]

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