線香花火が10秒長持ち 紙をねじり、着火角度は45度
パチッ…パチパチッ――。火花が美しく散る線香花火は夏の風物詩だ。記者(29)も玉が落ちないよう願いながらよく遊んだ。少しでも長く楽しむにはどうしたらよいのだろう。線香花火の達人になるコツを探った。
まずは歴史から調べよう。そう思い立ち、線香花火に詳しい東京都台東区蔵前の花火問屋、山縣商店を訪ねた。
「線香花火という遊び方はおそらく、江戸初期の1680年ごろには確立していた」と山縣常浩会長は説明する。1680年に発刊された京都の俳諧選集「洛陽集」には、ワラの先端に火薬を付けた花火を香炉に立てて女性が遊んでいる様子が詠まれている。
線香花火は2種類あり、当時うたわれた線香花火は「スボ手牡丹(ぼたん)」と呼ばれるワラやアシの先端に火薬を塗ったもの。先端に火をつけてパチパチと火花を散らす姿を見て楽しんだ。仏壇に供えられる線香に様子が似ていることから、線香花火という名がついたとの説がある。
スボ手のスボはワラやアシのこと。牡丹は大きくきれいな花として、美しく立派なものを形容していたため、その名がとられたとされる。
今の日本ではよりなじみが深い、和紙のこより状の線香花火「長手牡丹」が生まれたとされるのは、スボ手牡丹の登場より遅い1800年以降とされる。1830~1847年ごろに描かれたとみられる渓斎英泉の浮世絵「線香花火」には長手牡丹を楽しむ子どもの様子が描かれている。
「長手牡丹」の長手とは長く手でよる、という意味だ。江戸では河川が大きく、護岸が整備されていたためアシやワラが採りづらい。紙の産地が近く、和紙が手に入りやすかったため、スボ手よりも長手牡丹が普及したとされる。
関西では川岸に自生するアシが採れやすく、スボ手牡丹が普及したようだ。そのなごりで、現在はスボ手は西日本の線香花火、長手は東日本の線香花火として親しまれる。
300年近く、ほとんどその形を変えていない線香花火。魅力は火花の散り方の変化にもある。「移り変わる表情に名前がついている花火は線香花火だけ」と山縣さん。
最初は「牡丹」。次に最も激しく、美しく燃えている状態が「松葉」だ。松葉のように広く、激しく火花が飛び散る。その勢いが失われ、下の方に柳のようにしなだれた火花の状態になっていくのが「柳」。最後は小さな火花が散っては咲く「散り菊」だ。
火を長持ちさせるにはどうすればよいのか。山縣さんによるとコツは2つ。1つは火薬部分の上部をもう一度よること。流通過程でほどけたこよりを再度ねじると、強度が増し、玉を支えやすくなる。
もう一つは火をつける角度だ。「火に対して、下斜め45度で先端にのみ火をつけること」。一気に火薬に火がつき、燃え尽きることが防げる。
早速、週末の夜に10回ずつ試してみた。包装紙から取り出し、火の真上に線香花火をつけてみる。燃え尽きるまでの時間は最長44秒。最短は20秒で、平均31.3秒だった。
次にコツの通りにやってみると、何と最長は74秒、最短は18秒。平均すると43.8秒と10秒以上記録を伸ばすことができた。74秒の記録を出したときは、玉が途中で落ちずに「散り菊」の状態がずっと続いた。風の状態や線香花火自体の個体差もあるが、10秒の伸びは大きいといえる。
さらに記録を伸ばしたければ、風が弱い日や風を遮れる場所を選ぶとよい。自分の体で風をよけたり、円をつくるような形で複数人集まって風を防いだりすれば、さらなる記録向上が期待できそうだ。
「普通の花火で遊ぶときには、火に当たらないように人々は距離をおくけれど、線香花火だと近づいて寄りそう。それがこの花火のよさです」と山縣さん。友人や家族と、線香花火を囲んで夏の思い出をつくるのも悪くない。
◇ ◇ ◇
中国製増え、国産は一時途絶
国産の線香花火は実は一度途絶えている。三河、北九州、信州が3大産地だったが、1975年ごろ中国から輸入品が登場。手作業で0.1ミリグラムの火薬を和紙で包んでよる必要があり、人件費が安い生産地には価格で太刀打ちできなかった。1998年に最後の国内製造所が廃業した。
そこで、当時日本煙火協会理事だった山縣常浩さんが中心となり、2000年に国産の線香花火「大江戸牡丹」(10本入り税込み648円)を復活させた。
現在、線香花火の国内メーカーは3社、流通量は数パーセントにとどまる。国産と中国産の違いは散る火花の美しさ、和紙の鮮やかな染色やよりの丁寧さに現れる。遊び比べるのも楽しそうだ。
(若山友佳)
[NIKKEIプラス1 2017年8月12日付]
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