「きょうもぬきねえ(暑いね)、こんげな日は冷や汁が一番じゃが」。南国、宮崎県でうだるような暑さの続く夏を乗り切るために欠かせないのが郷土料理「冷や汁」だ。食欲がなくても、さらさらとかき込める。鎌倉時代に僧侶が各地に広めたのが発祥とされ、時代とともに姿形は変わったが、宮崎県の冷や汁が原形にもっとも近いという。
「夏になると、冷や汁を毎日食べに来る常連客もいる」と話すのは、宮崎市内の繁華街に店を構えるそば屋、東京庵の女将、清山成代さん(66)。1957年創業の老舗で、75年ころから冷や汁を出している。
味噌にゴマ、焼いたタイの身で味噌ダネを作り、そば用に毎朝取る澄んだあめ色の一番だしでのばす。そば屋の冷や汁だ。だしに焦げが浮かぶのを嫌い、タネは焼かない。さらに1週間ほど寝かせるとタイの脂がとろみを作り、さらさらの白い汁に仕上がる。さっぱりとした味わいだ。
具材の大葉、キュウリ、豆腐は客が選べるよう別盛りにする。冷や汁とチキン南蛮など宮崎の郷土料理のセットメニューも出している。清山さんは「交通の便が悪く、陸の孤島といわれる宮崎だから他の影響を受けず、そのままの形で残ったのでは」と推測する。
今でこそ宮崎市内には冷や汁を出す店が数多くあるが、宮崎県庁の近くにある郷土料理店、ふるさと料理杉の子は草分け的存在だ。女将の前田省子さん(52)は「父の森松平(故人)が店で出すと決めたとき、祖父はそんな料理でいいのか、とあきれたそうだ」と、70年の創業間もないころの昔話を話してくれた。
森さんは鹿児島県出身で幼い頃から冷や汁を食べていた。麦飯に汁をかけた、白米が食べられないときの節米料理だった。「おいしくない」と思い続けていたが、宮崎県の妻の実家で冷や汁を食べ、思いを一変したという。
杉の子で出す冷や汁のベースは麦味噌といりこ。麦味噌は若い味噌と熟成味噌をブレンドし、頭とワタを除いたいりこは手ですりおろす。こうしてできた味噌ダネを調理バットにのばして焦げ目がつかないようにオーブンでじっくり焼き、昆布とカツオのだしでのばせばかけ汁の完成だ。
具材は大葉、ミョウガ、キュウリ、切りごま、豆腐、天日干ししたカマスのほぐし身。米7、押し麦3の熱々の麦飯にかけて、かき込む。魚のうまみが味噌の甘みと溶け合うしっかりとした味わいで、大葉とミョウガの香りに、キュウリのしゃきしゃき感を楽しむ。家庭料理だった冷や汁をおもてなし料理に変えた。
JR九州の豪華寝台列車「ななつ星in九州」でも杉の子の冷や汁の入ったランチは好評だ。前田さんは「高級素材は使っていないが、旬の味をその土地で味わう“ぜいたく”を感じてもらえたのでは」と話す。
「農家が忙しい朝、井戸水で味噌を溶かした汁に夏野菜を刻んで入れ、麦飯にかけてかき込んだもの」と話すのは西都冷や汁保存会(宮崎県西都市)の森貞子会長。レシピを残す活動を続けてきた。「手の込んだ料理になったのは戦後だと思う」と話す。
保存会の冷や汁はいりことごま、落花生をすり鉢ですり、味噌を混ぜ、すり鉢に張り付けるようにのばし、ひっくり返してコンロで焼く。焼き味噌の香ばしい香りが広がる。味噌ダネは冷凍で1年はもち、西都市赤十字奉仕団の防災保存食になっているという。
冷や汁にラーメンという組み合わせも。食品卸・物販の響(宮崎市)は宮崎空港内のラーメン店、響で「冷や汁ラーメン」は、多い日に10杯以上注文があり「県外客でメニューを見ずに注文する人もいる」(岩切邦光社長、51)ほどだ。冷や汁に冷たいラーメンを入れ、チャーシューと煮卵をトッピング。麺を食べ終わったら、ご飯を入れて冷や汁として食べる。ボリューム感もたっぷりだ。
同社は土産物でそのまま冷や汁が味わえるレトルト汁も取り扱う。岩切社長は「実家が農家で、夏の昼はいつも冷や汁だった。お袋の味を再現した」と話す。
もともと冷や汁は家庭ごとに味も異なり、焼きナスや切り干し大根をいれる地域もある。杉の子の前田さんも「麦飯にこだわらず、うどんやそうめんでもいけそう」と話す。冷や汁はまだまだ進化しそうだ。
食欲の落ちる暑い夏でも、さらさらと食べられるだけでなく、冷や汁は健康食でもある。味噌ダネを構成する味噌の原料である大豆はたんぱく質やカリウム、カルシウムを含み、いりこはカルシウムのほか、ビタミンBやビタミンDを含む。ごまもカルシウムやマグネシウムなどミネラルがたっぷりだ。「畑の肉」といわれる豆腐は肉に比べカロリーも脂質も少ない。
具材の大葉、キュウリ、ミョウガは水分を調整するカリウムを多く含み、夏の料理には欠かせない。
(宮崎支局長 鈴木豊之)
[日本経済新聞夕刊2017年8月8日付]