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私写真、人妻ヌード… アラーキーの旅、個展相次ぐ

2017/8/2

「天才アラーキー」を自称し、1960年代から写真家として第一線を走り続けてきた荒木。喜寿を迎えた今年は「ファインダーに入ってくるものは全て楽園」とし、今は「写真機に撮らされている感覚」と語る。写真とは何なのか。作品を振り返りながら聞いた。

■「ファインダーに入るものは全て楽園」

――今年は例年以上に多くの個展を開いています。

「みんな俺がくたばると思ってるから、美術館の企画がかち合っちゃって。海外からも依頼がいっぱいきていて大変だけど断らない。裏切るわけにはいかないし、どんどん面白くなってきているから」

――亡き妻の陽子さんを写した初期の写真。改めてご覧になった感想は。

「センチメンタルな旅 1971―2017―」の会場で語る荒木経惟氏

「電通に入社して初めて会った陽子は、この天才に向かって『社内報を撮れ』と言った。それで会議室で複数の女性社員を撮った時、意識してなかったけど真ん中に陽子がいる。そこから私のセンチメンタルな旅は始まったんだな。何でもない時がいい時だね。たとえば荒川沿いの土手を惚(ほ)れた女が向こうから自転車に乗って走ってくる写真。これなんかいい写真だろう? いいときだったね、すごく。すごく幸福感があるよな」

「一番いいと思う写真はその時によって変わるんだけど、今だったらソファにもたれかかっている陽子の隣に私がいて、私の膝の上に(愛猫だった)チロがいる写真かな。2人でくだらないテレビを見てさ。幸せな時なのに、孤独感が(陽子の)顔に写っている。それが人間なんじゃないかな。結局、人生はセンチ、写真はセンチメンタルなんだよ。だからやめればいいんだけど、惹(ひ)かれる。生と死が行ったり来たりして、結局ひとりなんだなという。それが写真だというふうに、まちがってるんだろうけど、思っている」

――陽子さんが亡くなった後は空や花を写すことが増えました。

「空百景」(2017年)

「彼女が子宮筋腫で手術室に行ったとき、俺はひとりで空を撮った。だめだよね。惚れた女が死と戦いに行っているんだから、手術室までついていかなくちゃ。どうも空というと、そういうことが浮かんじゃう」

「人は最後はどうしても空や花に行く。アタシも老けていっているわけ。その境地に行かされるわけだ。空と花。空なんて一年中見ていても飽きないし、花は枯れていくまでずっと撮り続けてしまう。でも、そればかりやると悟っちゃうから。アタシはそっちに行きたくない。そんなじじ臭いことは駄目。悟りに近いことはやっちゃいけないと言い聞かせて、人妻たちを撮り始めているんだよ」

――ライフワークとして取り組んでいる主婦のヌード写真「人妻エロス」ですね。

「みんな雑誌のグラビアは飽きてきただろう? 形の大きさや良さなど、形にとらわれているけど、ヌードというのは、そういうものじゃないと教える要素も入っている。三段腹だけど撮られても平気だとか、亭主を裏切って脱いでいるのがたくましいと思って撮っているわけじゃないよ。どうせ撮られるなら腹をへこませたいとか、下着は替えてくればよかったとか。そういう恥じらいとずうずうしさなど女の色々な要素が混ざっていて、それを裸にする、暴き出すのをヌードという。こっちの方が写真という意味では上かもしれないよ」

――そういうヌードは今の荒木さんでなければ撮れないものでしょうか。

「当然だね。向こうにも一種の許容というか、相手もアタシを受け入れている部分がある。俺の慈しみ、愛情が通じているんだよ。きれいに撮るならデジタルで一番高いカメラを買えばいい。そういう時代なんだから。デジタルが駄目なわけじゃないけど。アタシが撮る裸は美しいわけではないかもしれないけど、女性の魅力の頂点は顔かたちじゃない。あれこそが女のヌード写真なんだよ。そういうことを言うのは嫌だから、『ババアの裸はいいぞ』と言っているわけだけど」

――これから撮っていきたいものはありますか。

「うまく撮ろうと思っていない気分がある。アタシの場合、カメラを構えてファインダーに入ってくるものは全て楽園なんだ。身体的なつらさもつらくない。写真機に撮らされている感覚があるね。天からもらった才能を死ぬまでに使い切れるかどうか。焦っている。今年でやめちゃおうかなと思っているけど、もう少し続けるかな。今は写真はやめられない」

(文化部 岩本文枝)

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