生誕120年 宇野千代、作品の魅力を再評価

1985年、満開の淡墨桜の前で(藤江淳子氏提供)
1985年、満開の淡墨桜の前で(藤江淳子氏提供)

明治から平成まで、時代を駆け抜けた作家・宇野千代。生誕120年を迎えた今年は、華やかな生き方の裏に隠れていた事実を知り、作品の魅力を捉え直そうという機運が広がっている。

作家の尾崎士郎や洋画家の東郷青児、そして作家の北原武夫――。多くの恋愛遍歴を持ち、着物デザイナーとしても活躍した宇野千代。その半生を赤裸々につづった「生きて行く私」(1983年刊)がミリオンセラーになったこともあり、これまでは、華やかな作家というイメージが一人歩きする傾向があった。

作風移り変わり

横浜市の神奈川近代文学館で開催中の「宇野千代展―華麗なる女の物語」(7月17日まで)では、そうした生涯に加え、作風の移り変わりを伝えている。宇野の写真とともに作品や日記、書簡を時代順に紹介する。

1932年ころ、自らデザインした着物を着て(藤江淳子氏提供)
宇野千代の名言
▼人間の考えることは、その人の行動によって引き出されることが多い。
▼謙遜は美徳ではなくて悪徳である。
▼どんなことでも一生懸命でやっていると、とても面白くなるものです。
(集英社文庫「行動することが生きることである」より)

展示に協力した文芸評論家の尾形明子氏は、宇野は今でいうドメスティックバイオレンス(DV)を繰り返す父に苦しめられていたと明かす。「初期の宇野さんは父や、甘えたことがないという継母のことなどを書き、人間心理をどこまでも追求するリアリズムの作家だった」と話す。

だが、晩年に自分で選んだ全集には、そうした人間の心の闇をえぐった作品は入れなかったという。「東郷と出会いモダニズム作家に変貌し、アイドル的な作家になるに従って、自分に不要な部分は上手に捨ててしまった。しなやかで強じんな精神から生みだされた文学は、いかなるイズムにも限定されない」とみる。

後世の作家に与えた影響が見えるのが、河出書房新社が出した「文芸別冊 宇野千代」だ。宇野と親交があった山田詠美や瀬戸内寂聴らに加え、鹿島田真希や東直子、山崎ナオコーラら宇野と会ったことのない若手も作品の魅力を語る。

落とし込むうまさ

たとえば鹿島田は詩人の佐々木幹郎との対談の中で、宇野が抽象的な物事を書くとき、料理や園芸や衣服といった身近なものに還元していると指摘。「聖性という抽象的なものを衣食住に、具体的な生活に落とし込んでいくうまさがある」と、宇野の作家としての特徴を冷静に見つめる。

また東直子はこの特集誌に寄せたエッセーで、宇野が自叙伝で自分の“初体験”を歴史小説の名場面のような臨場感で描写していることに驚き、宇野を「自分に関わる人すべてを、独特の透視力で客観視したのち、それらすべてを愛し、許すことが出来た人」と捉える。河出書房新社の編集担当者は「こうした見方に触れることで、宇野文学の読み手の裾野が広がるきっかけになってほしい」という。

戦前に早くもファッション誌「スタイル」を創刊し、恋に奔放に生きた女性。そのポジティブな姿勢に女性は憧れ、85年の米寿を祝う会では、出版界や芸能界などから500人を超える豪華な顔ぶれがそろった。

こうした華やかなイメージに人々は幻惑され、小説の新しさを見ようとしなかったのではないか――。96年に宇野が他界したときの弔辞で、作家の丸谷才一は「あなたの文学は今後、一層評価され新しい光を当てられるだろう」と予測した。生誕120年という時を迎え、ようやく宇野文学そのものの評価が深まっていくのかもしれない。

宇野千代
1897年山口県生まれ。1921年「時事新報」の懸賞小説に「脂粉の顔」が一等入選、作家生活に入る。小説の代表作に「色ざんげ」「おはん」など。女流文学賞、菊池寛賞などを受賞。90年に文化功労者。96年没。

(文化部 岩本文枝)

[日本経済新聞夕刊2017年7月4日付]

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