『ありがとう、トニ・エルドマン』父と娘、笑いと解放

2017/6/24

映画セレクション

じつに独創的なコメディの登場だ。物語はどこへ転がるかまったく予想がつかず、見る人を振りまわす。だが、慌ただしいギャグの連発で観客を引っぱるのではなく、悠然としたリズムがなんとも心地いい。笑わせながら、人を楽な気分にさせてくれる傑作だ。

主人公ヴィンフリートは悪ふざけと変装が好きな初老のドイツ男。愛犬に死なれた悲しみをまぎらわそうと、娘のイネスが働くルーマニアに行き、迷惑をまったく顧みず、娘の仕事先まで押しかける。当然のことながら、父のせいでイネスは仕事をしくじり、父をドイツに追いかえす。

その後、イネスが友人との女子会で父の一件を愚痴っていると、背後からひとりの男が「お嬢さんたち、シャンパンはいかが?」と声をかける。その男のあまりのダサさにイネスの友人たちは思わず吹きだすが、イネスの顔は青ざめる。トニ・エルドマンと名乗るその男は、出っ歯の入れ歯と長髪のカツラで変装しているが、まぎれもなくイネスの父だったからだ。

その後、おりに触れ、トニ・エルドマンはイネスのもとに出現し、大小の珍騒動をひき起こす。ついには、ある事情から、イネスの油田への視察にまで付いていくことになるが……。

笑いにまぶしてはいるが、これは父と娘の感情の食い違いとそこからの解放を描く、しごく真っ当な家族の映画なのだ。ふざけているように見えて、次第に私たち日本人にも通じる感情のドラマが迫ってくる。

また、国際企業の最前線で働く娘イネスのリアルな仕事ぶりを追うことで、いつも誰かを犠牲にして利益を上げるグローバリズムに対する本質的な批判にもなっている。といって上からの目線ではない。「お前、ここにいて幸せか?」と娘に問う父の言葉には、心に染みる重みがある。マーレン・アデ監督。2時間42分。

★★★★

(映画評論家 中条 省平)

[日本経済新聞夕刊2017年6月23日付]

★★★★★ 今年有数の傑作
★★★★☆ 見逃せない
★★★☆☆ 見応えあり
★★☆☆☆ それなりに楽しめる
★☆☆☆☆ 話題作だけど…