アートが問う現代世界 ベネチア・ビエンナーレ展
ベネチア・ビエンナーレ国際美術展が11月26日まで開催されている。さまざまな問題が噴出する現代世界でアートが背負える役割とは何か。多摩美術大学の小川敦生教授がリポートする。
古着などの布が床にぐちゃぐちゃと重ねて円形に敷かれている。やがて、床下から人の頭が出てきた。十数秒ほど、周囲をぐるりと観察した後、穴の中に姿を消した。少し待っていると、別の人の頭が出てきて同じことを繰り返した。同展で日本館に出展している岩崎貴宏の作品「アウト・オブ・ディスオーダー(マウンテンズ・アンド・シー)」である。
金沢21世紀美術館の鷲田めるろがキュレーターを務めた岩崎の作品は、86カ国が参加した今年の展示の中でも特に異彩を放っていた。実は、床下から首を出していたのは来場客だ。穴のすぐそばにはガスタンクや鉄塔、観覧車などを模した樹脂製の小さな模型が立ち、近代的な風景を成している。床下から覗(のぞ)いた人は、その風景を至近距離で眺めることになる。
視点変える重要性
外の待ち列に並んで床下から頭を出してみると、館内で上から眺めるのとはまったく異なる鮮烈な風景が、すさまじいスケールで目に飛び込んできた。「日本館の床に元から開いていた穴を使ってできることを考えた」と岩崎は言う。その結果、視点を変えることの重要性がありありと分かる作品になったのだ。
隔年で開かれる同展では、回ごとに各国が作家やキュレーターを立て、作品を出品する。賞もある。今年、国別部門で金獅子賞を受賞したのはドイツ館だった。
受賞作は、アンネ・イムホフのチームによるパフォーマンス作品「ファウスト」。魂を悪魔に売り渡すゲーテの同名の戯曲に通じるこの作品では、ガラス張りの床の下などで数人のパフォーマーが言葉を発さずに演技をする。動作は緩慢、さながら「動く彫刻」だ。観衆は彼らがなぜ止まっているのか、なぜときどき動くのか、常に考えさせられる。
そのほか、自国のルーツを探るニュージーランドの横長大画面の映像絵巻や、木製のパソコンで文明の形骸化をやゆしたキューバの展示も印象に残った。
科学技術と距離
第57回を迎えた今回は、パリの現代美術の殿堂、ポンピドゥー・センターのキュレーター、クリスティーヌ・マセルが総合ディレクターを務めている。彼女が定めた総合テーマは「芸術万歳」。一見安易に響くこの言葉の背後には、紛争や衝撃的な事件に満ちた現代の世界で「芸術」の役割を見つめ直す意図がある。
彼女が企画した総合展示の会場を回った。台湾出身のリー・ミンウェイは、色とりどりの糸で衣類を修繕する来場者参加型の作品を出品。あらゆるものを手作業で修繕しようというメッセージを見いだせる。
米先住民や日本の歌舞伎役者を模したという等身大の不気味な人物像に衣類を着せた作品を並べたのはニュージーランド出身のフランシス・アップリチャード。人を立ち止まらせ、民族問題などを考えさせるパワーを持つ。総合展示で共通しているのは、現代社会を支えるテクノロジーと距離を置いていることと読めた。
実は2年前に開かれた第56回でも、豪アボリジニ系の作品やアジアの民族性が如実な木彫の大作など反テクノロジーとも読める出品作は多かった。ナイジェリア出身のオクウィ・エンヴェゾーが総合ディレクターを務め、いわゆる第三世界にスポットを当てたことが大きな理由だったと推察できる。
マセルの立ち位置は異なる。科学技術が進展した時代だからこそ、西洋的な視点で芸術の原点に戻ろうとしていたのだ。ただし、企画展示では一つ一つの作品のインパクトが小さめに感じられ、全体としてはやや散漫な印象を受けたことも付記しておきたい。
その中で、日本人作家、島袋道浩の出品作は、原初性と知を織り交ぜた巧みな表現に引きつけられた。アップルの極薄型のノートパソコンを刃物に見立て、研いでりんごを二つに割る様子を見せた映像と物を組み合わせた作品や、携帯電話と石器を交換するプロジェクトの展示は、笑いを誘いつつ、現代の人々に巧みに世の中のあり方を問いかけていた。
[日本経済新聞夕刊2017年6月5日付]
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